こんばんわにゃんこです。
今回ご紹介するのは織田信長が唯一勝つことが出来なかった本願寺との戦いについてです。
織田信長と本願寺は激しく戦いを繰り広げますが、決定的な勝利を得ることなく、朝廷に仲介してもらい、和睦を結んで何とか戦を終結させます。
この本願寺と織田信長の戦いは約10年間の続きます。
そして明智光秀も本願寺との戦いに参加し、1月3日に放映される「麒麟がくる」でも取り上げられます。
1月3日に取り上げられる本願寺との戦いで、明智光秀はどのような活躍をするのかについて、歴史に詳しくないにゃんこがわかりやすくご紹介したいと思います。
織田信長から呼び出しを受ける明智光秀
明智光秀は織田信長から丹波(たんば)攻略を命じられ、丹波の赤鬼と呼ばれた赤井直政(あかいなおまさ)の本拠地である黒井城を包囲します。
明智光秀は丹波攻略で一定の成果をあげていましたが、織田信長から「すぐに本願寺攻略の戦に参加せよ」との命令を受け、丹波攻略を切り上げ、本願寺との戦に参戦するため、大阪へ向かって軍勢を移動させていきます。
危機的状況に陥る織田軍
織田信長は荒木村重(あらきむらしげ)や原田直政(はらだなおまさ)、細川藤孝(ほそかわふじたか )等、織田家の最大戦力に近い兵力と武将を結集し、この戦いに明智光秀も参戦します。
こうして織田信長は自身が本願寺攻めに参加しなくても勝つことができると考えていました。
しかしながら織田軍は本願寺の勢力に苦戦を強いられることになります。
原田直政は本願寺の三津寺を攻撃していましたが、本願寺勢力の逆襲にあってしまい、討死してしまいます。
更に本願寺勢力は明智光秀や佐久間信栄(さくまのぶひで)が籠っていた天王寺砦を攻撃。
明智光秀と佐久間信栄は本願寺勢力の激しい攻撃を受けて、苦戦することになります。
織田信長は本願寺との戦いが織田軍にとって不利である状況を知って、びっくりしてしまいます。
そして織田信長はある行動に出るのでした。
本願寺勢力に辛勝する織田軍
織田信長は天王寺砦の危機を知って急いで軍勢をかき集めて出陣。
織田信長は3000人の軍勢を率いて天王寺を包囲している本願寺勢力の軍に突撃を開始します。
織田信長の軍勢は本願寺勢力の軍勢を打ち破り、天王寺砦に入ると明智光秀らの軍勢と協力して、天王寺砦を包囲していた本願寺勢力を追い払うことに成功するのでした。
こうして本願寺との戦いは一時的に織田家の勝利で終わりますが、決定的な勝ちを得ることは出来ませんでした。
病に倒れる明智光秀
明智光秀は本願寺との戦いが終結すると、今までの疲労が重なって、倒れてしまいます。
自宅に帰った明智光秀は、名医である曲直瀬道三(まなせどうさん)に見てもらったり、吉田兼和(よしだかねかず)の祈祷を受けています。
しかし明智光秀の病は一向に良くならず、奥さんの献身的な介護を受けて、ようやく体調を整えるのでした。
ですが、明智光秀を寝る間も惜しんで介護した妻の煕子が坂本城で亡くなってしまいます。
明智光秀の浪人時代から支えてきた糟糠の妻を失い、明智光秀にとって精神的にも体力的にもきつい本願寺との戦いであったと思われます。
にゃんこのまとめ
今回は明智光秀が参加した大阪本願寺攻めについてご紹介しました。
「麒麟がくる」も残り僅かで最終回を迎えることになりますが、驚きの展開で最終回を迎えるそうです。
果たしてどのような最終回を迎えることになるのか。
今から楽しみですね。
それでは、今回の記事のまとめをしていきましょう。
「麒麟がくる」本願寺攻めは明智光秀にとって1番きつい戦いだった!?
- 織田軍は本願寺勢力の逆襲され、苦戦を強いられる
- 織田信長の決死の突撃がきっかけになって何とか織田家の勝利で終わる
- 明智光秀は本願寺との戦い後、過労が原因で倒れる
- 曲直瀬道三や煕子らの治療により何とか明智光秀の体調が戻る
- 明智光秀を支えてきた妻・煕子が亡くなってしまう
以上になります。
にゃんこのブログでは今回の記事の他にも
などの記事も掲載しておりますので、お時間ある時にお読みいただけると幸いです。
最近にゃんこは学校に通学しており、授業の復習や就活の資料作りで、中々ブログの更新ができなくなっています。
ですが何とか時間を作ってブログの更新はしていきたいと思っておりますので、気長にお待ちいただけると幸いです。
それでは皆様。
次回もこのブログでお会いしましょう。
参考文献 織田信長家臣人名辞典など
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