「麒麟がくる」ついに黒田官兵衛がやってくる!?一体何した人なの?

2021年2月7日日曜日

t f B! P L

こんばんわにゃんこです。

最近少しづつ暖かい日々が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。


さて「麒麟がくる」もついに最終回を迎える事になりましたが、1人の武将が登場することになり、話題を呼んでいます。


その武将とは黒田官兵衛(くろだかんべえ)です。

黒田官兵衛は羽柴秀吉の軍師として、色々なアドバイスを行った人物として有名ですが、一体何をした人物なのでしょうか。

一言で黒田官兵衛を表すと「不遇の天才軍師」です。

天才軍師でありながら、なぜ不遇なのか。

今回は最終回でやってきた黒田官兵衛について、本能寺の変までの経歴について、ご紹介したいと思います。


小寺家の家老だった軍師・黒田官官兵衛



黒田官兵衛は羽柴秀吉に最初から仕えていた訳ではありません。

黒田官兵衛の父の代から中国地方の播磨(はりま)国の豪族である小寺氏に仕えて関係から、官兵衛も小寺氏に仕え、家老職を務めていました。


小寺氏家老・黒田官兵衛は、織田の勢力がすごい勢いで拡大している状況を把握し、「今後は織田家の味方になった方がいい」と予見し、小寺氏の当主を説き伏せます。


その後黒田官兵衛は小寺氏の使者として、織田信長と会見し、後日小寺氏も播磨の有力者である赤松氏・別所氏らと一緒に織田信長に降伏することになります。


こうして黒田官兵衛は、織田家に仕えることになり、中国地方を攻略する司令官である羽柴秀吉の部下として活躍することになります。


囚われる黒田官兵衛

黒田官兵衛は羽柴秀吉の部下になると、宇喜多氏の城を陥落させる武功を挙げ、自らの居城である姫路城を明け渡し、羽柴秀吉へ忠誠を誓います。

羽柴秀吉も黒田官兵衛の実力と忠誠心の高さを認め「弟と同じくらい大切である」と褒めたたえます。
こうして黒田官兵衛は羽柴秀吉に大切に扱われる家来となっていきますが、大事件が勃発。

それは元主である小寺氏が別所氏と共に織田信長に反旗を翻したことです。
更に小寺氏と仲が良かった荒木村重(あらきむらしげ)も織田信長に反乱。

中国地方を攻略していた羽柴秀吉にとって別所氏・小寺連合と荒木村重の軍勢に挟まれてしまいます。

黒田官兵衛はこの状況を打破するため、単身荒木村重の居城である有岡城へ乗り込み、織田信長に再度仕えるように荒木村重の説得を試みます。

しかし、荒木村重は黒田官兵衛の説得に耳を傾けず、黒田官兵衛を監禁。
囚われの身となった黒田官兵衛は荒木村重が有岡城から逃亡するまでの1年間を牢獄で暮らすことになり、右脚が上手く動かなくなってしまうのでした。

軍師・黒田官兵衛の本領発揮


黒田官兵衛は有岡城から救出された後、再び羽柴秀吉の軍師として仕えることになります。

片足が不自由になった黒田官兵衛ですが、軍師としての力に磨きがかかり、本領を発揮。

一例としては羽柴秀吉が中国地方攻略中に、淡路(あわじ)・阿波(あわ)へ攻め込み、功績を挙げています。

また黒田官兵衛は毛利氏の重要拠点である備中の国の高松城(たかまつじょう)攻略へ参加。 
黒田官兵衛は高松城の攻略戦で、水攻めを羽柴秀吉へ提案し、毛利氏の援軍を高松城へ寄せ付けず、有利に城攻めを展開させます。

このように黒田官兵衛は冴え渡る智謀を発揮し、各地の戦いで羽柴秀吉の軍師として活躍するのでした。

恐ろしいアドバイスを進言

黒田官兵衛の提案によって高松城の陥落が間近に迫ってる中、京都において大事件が発生。

その事件は2月7日に放映される「麒麟がくる」の最終回である本能寺で、明智光秀が織田信長を殺害します。

羽柴秀吉は本能寺で織田信長が殺害させれた事を聞くとショックを受けて大泣き。

しかし黒田官兵衛は羽柴秀吉のようにショックを受けず、羽柴秀吉へ「めでたいじゃないですか。」ととんでもない事を話します。

黒田官兵衛はなぜ羽柴秀吉へ「めでたい」と喜びを表現したのか。

黒田官兵衛曰く「織田信長が明智光秀に殺害されたことによってあなた(羽柴秀吉)が天下を掴むチャンスが到来した」と考えていたため、「めでたい」と表現したのです。

羽柴秀吉は黒田官兵衛のこの発言に驚きを隠せませんでしたが、表情に表さず織田信長へ哀悼の意を捧げるため、泣きじゃくっていたそうです。

黒田官兵衛の上記の発言は「川角太閤記」に記されていますが、本当に黒田官兵衛が発言したのか怪しいとされています。

不遇の軍師・黒田官兵衛

羽柴秀吉は明智光秀を倒すため、中国地方から撤退。
この時、黒田官兵衛は毛利氏との講和をまとめ、羽柴軍の撤退経路などの準備などを指示する活躍を見せます。

その後黒田官兵衛は明智光秀と羽柴秀吉が戦った山崎の戦いに参加しますが、目覚しい活躍をしませんでした。

また黒田官兵衛は賤ヶ岳の戦いにも参加せず、だんだんと羽柴秀吉から遠ざけられて行き、羽柴秀吉が天下統一すると中央政府から遠ざけられて、地方へと左遷させられてしまうのでした。

にゃんこのまとめ


今回は黒田官兵衛が明智光秀を倒す戦である山崎の戦いまでご紹介しました。

黒田官兵衛は羽柴秀吉に頼りにされていましたが、彼の智謀の凄さに恐れを感じ、彼を遠ざけてしまいます。

羽柴秀吉が黒田官兵衛の智謀を恐れていた一例として、豊臣秀吉が天下統一の後、側近たちへ「誰が儂の死後、天下をとると思う」と質問したことがありました。

側近たちは「徳川家康が取ると思います」や「人望のある前田利家だろう」等と雑談。

しかし豊臣秀吉は「いやいや。黒田官兵衛が天下をとるであろう。」と述べます。
側近たちは「黒田官兵衛は10万石くらいしかないですが…。」も疑問を豊臣秀吉へなげかけます。

すると豊臣秀吉は「あやつに100万石あげたら、すぐにでも天下を取るわ」と笑いながら話したそうです。

この話を聞いた黒田官兵衛は「もっと自重しないといけない」と危険を回避するため、より慎重になったそうです。

このように黒田官兵衛は羽柴秀吉から最も恐れられた存在でありました。

さてここからは今回の記事のまとめに入りたいと思います。

「麒麟がくる」ついに黒田官兵衛がやってくる!?一体何した人なの?
  • 黒田官兵衛は初め、小寺氏に仕えるが、後に羽柴秀吉の家来になる
  • 黒田官兵衛は羽柴秀吉の家来兼軍師として活躍
  • 本能寺の変が勃発すると羽柴秀吉へ「喜ぶよう」発言
  • 本能寺の変以降、黒田官兵衛は羽柴秀吉に遠ざけられてしまう
以上になります。
このblogでは今回の記事の他にも
などの記事も掲載しておりますので、ご覧頂けると幸いです。

それでは皆様次回もこのブログでお会いしましょう~

参考文献 織田信長家臣人名辞典など

このブログを検索

2021年大河ドラマ「晴天を衝け」

オススメ歴史小説の本棚

自己紹介

自分の写真
このブログの管理人はプロフィール写真に載せている白猫・ボス。 ブログの表紙のネコは私の友達だよ そしてブログの文章を書いているのはボスの飼い主であるニャンコが書いています。 猫が管理している日本初の(ホントかにゃ??)歴史小説や戦国時代などを紹介するサイト。 ちぐはぐコンビで不定期に更新していますので、見てください。 ボスの日常もたまに紹介するかも・・・・

注目の投稿

「麒麟がくる」ついに黒田官兵衛がやってくる!?一体何した人なの?

こんばんわにゃんこです。 最近少しづつ暖かい日々が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。 さて「麒麟がくる」もついに最終回を迎える事になりましたが、1人の武将が登場することになり、話題を呼んでいます。 その武将とは黒田官兵衛(くろだかんべえ)です。 黒田官兵衛は羽柴秀吉...

QooQ