こんばんわ。
にゃんこです。
コロナウィルスで中止されていた「麒麟がくる」が今月末になってようやく再開されます。
「麒麟がくる」再開に伴い、新しい登場人物が発表されています。
そこで今回は新しい登場人物の一人である足利義栄(あしかがよしひで)についてご紹介したいと思います。
足利義栄はいったい何をした人なのか。
簡単にまとめると
・室町幕府の将軍の中で幕府の本拠地である京都で将軍の位についていない人物
・若くして亡くなったため、実績を残すことができなかった将軍
上記二つを中心に歴史に詳しくないにゃんこが、足利義栄についてわかりやすくご紹介していきたいと思います。
足利幕府の将軍候補として担がれる
足利幕府の13代目の将軍であった足利義輝(あしかがよしてる)は、松永久秀(まつながひさひで)の弟である松永久通(まつながひさみち)や三好三人衆の攻撃を受けて亡くなってしまいます。
松永久通や三好三人衆は足利義輝を殺害した後、次の将軍候補として足利義輝の従兄弟である足利義栄を将軍候補として担ぎ上げます。
足利義栄は松永久通や三好三人衆の誘いを断らず、将軍候補として名乗りを上げて、勢力拡大へ動き始めるのでした。
ごたごた続きで将軍になれない足利義栄
足利義栄は将軍候補として担がれますが、なかなか将軍の位を朝廷からもらえませんでした。
その理由は足利義栄を将軍候補として担いだ、三好三人衆が松永久秀と権力争いをし始めたためです。
また朝廷から「義栄さん。将軍になりたかったら、お金を払ってくれないとなれませんよ」とお金を要求されていましたが、お金が払えませんでした。
そのため足利義栄は中々将軍の位に就く事ができませんでした。
しかし朝廷と何度も交渉を繰り返した結果、足利義栄は朝廷へ初めて将軍の位にしてほしいと要請してから4か月後ようやく将軍の位に就任します。
京都に入れない将軍
足利義栄は将軍の位に就任できましたが、幕府の本拠地である京都へ入れませんでした。
その原因は足利義栄が病を患っていたからです。
そのため足利義栄は将軍になっても京都へ入らずに摂津(せっつ)の富田で、将軍として活動することになります。
足利義栄が京都へ入らなかったもう一つの理由としては、足利義栄に協力していた三好三人衆と松永家との争いが激しかったことも原因の一つでした。
そのため足利義栄は将軍になっても京都へ行けませんでした。
何もできないまま終わる将軍
足利義栄は将軍として京都の住民と大徳寺との喧嘩の仲裁や春日大社などの寺社へお金や太刀などを献上し、幕府の威光をアップさせようと頑張っていました。
そんな中、足利義昭(あしかがよしあき)が織田信長に擁立されて京都へ進軍してきます。
足利義栄を担いだ三好三人衆は織田信長と戦いますが、あっけないく敗退。
足利義栄は三好三人衆が織田信長に敗退した数日後、病が悪化して亡くなってしまいます。
将軍として本格的な政務を取る事無く、亡くなってしまった足利義栄を紹介しました。
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