お久しぶりです。
ニャンコです。
新しい家を見つけるのに思いのほか時間がかかりまして、ブログを更新できませんでした。
またブログを更新していきますのでよろしくお願いいたします。
さて「麒麟がくる」も再び再開を祝した一発目のブログ記事は松永久秀について書いていきたいと思います。
「麒麟がくる」に松永久秀が登場した当初から、松永久秀の最後は爆死するのではないかとネット上で噂されていましたが、果たして本当に爆死するのでしょうか。
この点について今回は歴史の資料を参考にしながら、歴史に詳しくないニャンコがわかりやすく、松永久秀の最後をご紹介していきたいと思います。
松永久秀の最後は爆死じゃない⁉「多聞院日記version」
松永久秀が領地としていた大和(やまと)の国にある奈良興福寺(ならこうふくじ)。
奈良興福寺にある塔頭多聞院(たもんいん)において室町時代後期から江戸時代初期までの出来事を編纂した「多聞院日記」と呼ばれる書籍があります。
この「多聞院日記」には戦国時代の事柄も多く記載され、松永久秀の最後についても描かれていました。
「多聞院日記」によれば、松永久秀は織田信長に反乱を起こしますが、織田軍の大軍に松永久秀の居城である信貴山城を包囲されてしまいます。
織田信長は松永久秀へ幾度が降伏勧告を行いますが、松永久秀は織田信長の降伏勧告を拒否。
織田信長は松永久秀が降伏しない為、信貴山城へ総攻撃をかけるように命令します。
松永久秀は織田軍の総攻撃が開始される前に秘蔵の平蜘蛛の釜を勝ち割って粉々にした後、自ら城に火をつけて自害してしまいます。
松永久秀は爆死せず、自ら城に火を放って亡くなりますが、他の史書によれば、爆死していると記されている書籍がありますので、そちらもご紹介しましょう。
木っ端みじんに爆死した松永久秀「老人雑話」
江戸時代初期のお医者様・伊藤担庵(いとうたんあん)。
伊藤担庵が師匠である江村氏から聞いた話をまとめた「老人雑話(ろうじんざつわ)」と呼ばれる書物では松永久秀が城に火をかけて爆死したと記されております。
「老人雑話」によれば、織田信長は松永久秀が反乱を起こした時、松永久秀が保有している平蜘蛛の釜を失うのが惜しいと考え、「久秀。平蜘蛛の釜を渡せ」と交渉。
しかし松永久秀は織田信長の勧告を無視した後、信貴山城に貯蔵されていた火薬に火をかけて爆殺したとされています。
このように松永久秀の死因は史書によって異なるのですが、「麒麟がくる」では松永久秀の最後についてどちらを採用するのでしょうか。
「麒麟がくる」での松永久秀の最後はやっぱり爆死⁉
ここからはニャンコの予想を話していきたいと思います。
「麒麟がくる」に登場している松永久秀の最後はやっぱり爆死するんじゃないかなと思っています。
その理由は、松永久秀が着ている着物です。
松永久秀は艶やかな着物や派手な着色の着物を着ている事が多いですが、打ち上げ花火を連想させるデザインの着物を着用している事が多いように思われます。
「麒麟がくる」のHPに登場している松永久秀も打ち上げ花火を連想されるような色遣いとデザインの着物を着ています。
このことから松永久秀の最後は「老人雑話」に記載されているように、信貴山城を爆破して亡くなるのではないでしょうか。
皆さまは松永久秀がどのような最期を迎えると思いますか。
ニャンコのまとめ
「麒麟がくる」に登場する松永久秀の最後についてご紹介しました。
ここからは今回の記事についてまとめていきたいと思います。
「麒麟がくる」松永久秀は爆死しない!?松永久秀の最後を予想してみた!!まとめ
- 「多聞院日記」によれば、松永久秀の最後は自害
- 「老人雑話」によれば、松永久秀の最後は爆死
- 「麒麟がくる」では松永久秀の着物が花火を連想させるようなデザインと色使いから、爆死する可能性が高い!!
以上になります。
一ヶ月ほどブログ記事の更新が出来なかったにもかかわらず、このブログを読んでいただいてくれた読者の方本当にありがとうございます。
またここから「麒麟がくる」に絡めた戦国時代の記事やチンギス紀にまつわる記事などをたくさん書いていきますので、よろしくお願いいたします。
それではまたこのブログでお会いしましょう
参考文献 織田信長家臣人名辞典など
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