こんばんわニャンコです。
「麒麟がくる」では新しい登場人物が続々と登場しており、物語がどんどん面白くなっていきますね。
次回の「麒麟がくる」ではついに織田信長が足利義昭を連れ、京の都へ赴くことをほのめかす予告がされていました。
また織田信長の居城である稲葉山城(いなばやまじょう)の名前が変更され、岐阜城と改名されますが、なぜ織田信長はお城の名前を変更したのでしょうか。
今回は織田信長が城の名前を変更した理由について、歴史に詳しくないニャンコが分かりやすくまとめてご紹介していきたいと思います。
稲葉山城は誰が作ったの⁉
織田信長が稲葉山城から岐阜城へ名称変更した理由をご紹介する前に、そもそも稲葉山城を誰が作ったのかざっくり紹介したいと思います。
稲葉山城は織田信長の義父である斎藤道三(さいとうどうざん)が美濃の稲葉山の山頂に、丹精込めて城を築城。
その後斎藤道三の跡を継いだ斎藤義龍(さいとうよしたつ)、斎藤龍興(さいとうたつおき)が城主として君臨した後、美濃を奪った織田信長の手に渡ります。
稲葉山城のままでもいいような気がするのですが、なぜ織田信長は義父・斎藤道三が丹精込めて作り上げた稲葉山城の名称を変更したのでしょうか。
稲葉山城から岐阜城へ!!
織田信長は稲葉山城の名前を岐阜城と名称変更し、以降現代にいたるまで岐阜城の名前で知られています。岐阜という地名が付けられた理由は諸説ありますが、その中でも一番有名な説は織田信長が自分で命名したとされる説です。
織田信長はアドバイザーであった沢庵宗恩(たくあんそうおん)と呼ばれる寺のお坊さんへ「稲葉山城の中にある井ノ口ってダサいから名前変えたいんだけどなんか良い案ないかな」と相談。
すると沢庵さんは「周王朝発祥の地である縁起の良い岐山(きざん:古代中国で伝説の聖獣である鳳凰が降り立った地として知られる)と呼ばれる山が大陸にあり、この井ノ口の名前を岐山と命名してはどうですか。」と提案。
しかし織田信長は「なんかしっくりこないんだよな。他に良い案ないのか」と細動相談を持ち掛けます。
すると沢庵は「では儒教(じゅきょう)の祖として超有名な孔子が生まれた魯の曲阜ではいかがでしょう。」と再度提案します。
ですが、織田信長は沢庵の再度の提案もあまり納得せず悩んでしまいます。
色々と織田信長が悩んだ結果「では岐山の「岐」と曲阜の「阜」を合わせて「岐阜」としよう。」と納得した事が理由で、井ノ口が岐阜と名称変更し、稲葉山城も岐阜城と名前が変更されることになります。
岐阜の地名にはこんな意味が込められていた!?
織田信長は沢庵宗恩のアドバイスを受けて稲葉山城から岐阜城へと名称を変更しましたが、岐阜と言う地名にはあるメッセージが隠されていました。
そのメッセージとは一体何でしょうか。
岐阜は沢庵宗恩が提案した岐山の「岐」と魯(ろ)の曲阜の「阜」が合わさってできた造語ですが、この二つの文字を合わせた事には意味がありました。
岐山は周王朝発祥の地で天下泰平に導いた縁起の良い場所であり、曲阜は孔子が誕生した地である事から、天下の平穏と学問の繁栄の意味が「岐阜」には込められていました。
ニャンコのまとめ
今回は岐阜城の名前の由来と岐阜城の意味をご紹介しました。ここからは今回の記事のまとめをしていきます。
「麒麟がくる」稲葉山城から岐阜城へ!!織田信長が岐阜の名前に込めたメッセージとは?
- 稲葉山城は斎藤道三が築城した城
- 岐阜は織田信長が命名した(有名な説から抜粋)
- 岐阜には周王朝発祥の地である岐山と孔子の生誕地である曲阜の造語
- 岐阜には天下平穏の意味と学問繁栄の意味が込められていた
以上になります。
「麒麟がくる」のタイトルにある「麒麟」は天下が平和になった時に現れる聖獣として知られていますが、岐阜の由来である岐山にも平和の象徴である鳳凰が舞い降りたとされており、「麒麟がくる」にピッタリなエピソードだと思います。
果たしてどのように「麒麟がくる」でこの出来事が紹介されるのか。
次回の「麒麟がくる」の「宗久の約束」で注目したいシーンの一つに挙げられるのではないでしょうか。
それではまた次回もニャンコのブログでお会いしましょう。
参考文献 Wikipediaなど
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