小田原北条氏の二代目・北条氏綱を5分で分かりやすく解説!!

2020年2月23日日曜日

北条家 北条氏綱

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5分で解説!!戦国時代シリーズ第二回。

今回は北条家二代目当主を紹介していきたいと思います。

北条家二代目当主は北条早雲(ほうじょうそううん)の息子・北条氏綱(ほうじょううじつな)です。

北条早雲を一言で表すと「下克上を起こして戦国時代を作り上げた人」として歴史に名を残しました。

北条氏綱は何をした人なのか分かりやすく紹介していきたいと思います。

北条氏綱が北条家の当主へ


北条氏綱は北条早雲の跡を継いで北条家当主になります。

北条氏綱を一言で表すと「北条家を関東の覇者へのしあげた」と言えます。

どのようにして北条氏綱は関東の覇者としてのしあがったのか。

ここでは北条氏綱が関東の覇者にのしあがるまでの経緯を紹介したいと思います。

まず北条氏綱は北条家当主になると二つのことを行います。

北条氏綱は一体何を行ったのでしょうか。

二つのこと


北条氏綱は積極的に「寺社修築」と自分の苗字の改名を行います。

どうして北条氏綱は「寺社修築」と自分の苗字の改名をしたのでしょうか。

北条氏綱がやったことその1「寺社修築」


北条氏綱は北条家の当主になると、領内にある相模一宮寒川社・箱根権現社・六所明神社・伊豆山権現社・伊豆一宮三島社などの修築作業を行います。

どうして北条氏綱は寺社の修築作業を行ったのでしょうか。

それは北条氏綱の政治的な立場を明確にするためです。

北条氏綱はこの頃、扇谷(おおぎがやつ)上杉家と敵対し、扇谷上杉家に対抗するため、自らの政治的な立場を明確にする必要がありました。

北条氏綱は自らが支配していた相模の国の主としての立場を明確にするため、「相模国(さがみのくに)の主」の名前で「寺社修築」を行っていきます。

北条氏綱は「寺社修築」を相模の国の主で実施することで、北条氏綱が「相模を支配しているよ」と宣伝。

また北条氏綱は「相模の国の主」であることを各地へ宣伝することで、武蔵国(むさし「現・東京都一帯」)を攻撃する正当性を獲得も狙っていました。

この北条氏綱の狙いは成功し、後に相模の国の主である事を理由として武蔵国へ攻撃します。

北条氏綱がやったことその2「改名」

北条氏綱は父の跡を継いで北条家の主になります。

しかし北条氏綱は父の跡を継いだ頃、伊勢氏綱と名乗っていました。

ちょっとややっこしいですが、ここでは北条氏綱ではなく伊勢氏綱と表示していきます。

どうして伊勢氏綱は北条の名前にしたのでしょうか。

その理由は扇谷上杉家に対抗するためです。

戦国時代の初期は名家の方が信頼性などの面で有利でした。

例えば読者の皆様も全然認知度がない人の発言よりも、同じ発言をした有名人の人に信頼性を置くと思います。

戦国時代も一緒で認知度の高い名家の方に圧倒的な信頼を置いていました。

扇谷上杉家は足利幕府を開いた足利尊氏の血族で、戦国時代初期において名家で信頼されていました。

その点伊勢氏綱や伊勢早雲の伊勢家は扇谷上杉家よりも信頼を置かれていません。

伊勢氏綱は扇谷上杉家と戦うためには、領内や他国からの信頼を得るため、自らの姓を鎌倉幕府の執権として有名な北条の姓へ改名することにします。

こうして伊勢氏綱は、「北条姓」と「相模国の主の名」を併用して領内と他国から信頼を得ることに成功し、扇谷上杉家との戦いをはじめます。

1対5の戦い

伊勢氏綱改め北条氏綱は扇谷上杉家との戦いを開始。

北条氏綱は扇谷上杉家との戦いを始めますが、いきなり不利な状況に陥ってしまいます。

扇谷上杉家は北条家が敵対してので、各国へ呼びかけて協力を仰ぎます。

扇谷上杉家の呼びかけに山内上杉家が応じたことをきっかけに、甲斐の武田氏、上総(かずさ「現・千葉県中央部」)武田氏、安房(あわ「現・千葉県房総半島の南地域」)里見氏、小弓公方らが協力。

一方北条氏綱はせっかく改名し、「相模の国の主」として宣伝したにも関わらず、他国の味方を得ることができませんでした。

こうした状況の中北条氏綱は敵対勢力の全てと戦うのではなく、各個撃破の作戦をとっていき、不利な状況を覆そうと考えます。

北条氏綱の戦いその1「扇谷上杉家との戦い」

北条氏綱は扇谷上杉家との戦いを繰り広げていきます。

北条氏綱は扇谷上杉家の太田資高などの太田資貞を寝返らせることに成功し、江戸城などいくつかの城を手に入れ、武蔵の国の南部を手に入れます。

しかし扇谷上杉家は北条氏綱に対して反撃。

扇谷上杉家は北条家の城であった蕨(わらび)城などいくつかの城を奪います。

更に扇谷上杉家は安房の里見氏を動かして、北条家へ攻撃を行います(この戦いは北条家の勝利で終わる)。

このように北条氏綱と扇谷上杉家は互角の戦いを繰り広げていきます。

北条氏綱の危機的状況は里見氏と真里谷武田氏の内乱によって脱することになります。

里見氏の内輪揉めが北条氏綱を救う

北条氏綱に敵対していた里見氏。

里見氏は北条氏綱と敵対していた頃の当主を里見義豊(さとみよしとよ)でした。

彼は自分の後見人であった叔父・里見実尭と家老の正木氏を殺害してしまいます。

家老の正木氏は里見実堯の子供である里見義尭(さとみよしたか)を里見氏の当主に担ぎ上げます。

こうして里見氏は内輪揉めをはじめます。

里見義尭は北条氏綱に応援を要請。

北条氏綱は里見義尭の応援に応えて里見義豊を攻撃します。

里見義尭と北条氏綱連合軍は里見義豊の軍勢を打ち破り、彼を倒すことに成功。

こうして里見家は里見義尭が当主なり、北条氏綱と敵対することを止めます。

北条氏綱は里見氏が北条家に敵対することをやめたことがきっかけとなり、一気に反撃に出ます。

今川家を助けて武田軍を破る

北条氏綱は里見氏を味方につけることに成功すると、武田に攻撃を受けている今川家を助けるため出陣。

北条氏綱は今川軍と共同して武田軍を破ることに成功します。

扇谷上杉家は北条氏綱が今川家を助けるために出陣した隙を突いて、北条家の領地となっている相模へ攻撃し、北条家の領土を荒し回ります。

北条氏綱はすぐに軍勢を連れて領土へ帰りますが、扇谷上杉家が相模の領土に放火や略奪を行ったせいで、ボロボロになっていました。

北条氏綱は怒り、大兵力を率いて扇谷上杉家の河越城へ向けて進軍を開始します。

扇谷上杉家の当主が亡くなる

扇谷上杉家は北条氏綱が大軍を率いて河越城へ向けて進軍している事を知り、北条軍を迎え撃つため、出陣します。

北条氏綱vs扇谷上杉家の戦いは北条氏綱の勝利で幕を閉じます。

扇谷上杉家の当主である上杉朝興は北条氏に戦いで負けたことがショックで亡くなってしまいます。

上杉朝興の息子・上杉朝定は北条氏綱を倒す決意を固め、復讐を誓うのでした。

関東の覇者へ

北条氏綱は再び大軍を率いて河越城へ向けて出陣。

扇谷上杉家の当主・上杉朝定は「北条軍を今こそ倒すチャンスだ!!」と意気込んで、北条軍を倒すため出陣。

北条氏綱vs上杉朝定の戦いは再び北条氏綱の勝利で幕を閉じます。

そして北条氏綱は河越城を攻略し、武蔵を手に入れることに成功。

北条氏綱を苦しめていた危機的状況は好転。

その後、北条氏綱は里見氏・小弓公方・足利の連合軍を国府台城近辺で打ち破り、大勝利を飾ります。

北条氏綱が連合軍と戦い始めた頃、今川氏輝が亡くなり、今川家で後継者争いが発生。

北条氏綱は今川氏輝の跡を継いだ今川義元を助けて、彼を後継者として認めたない反対勢力を倒します。

今川義元は今川家の当主になりますが、北条との同盟を捨てて武田と同盟。

北条氏綱は今川義元の行いに激怒し、今川家の領土へ攻撃を行い、駿河(するが)の半分を手に入れます。

こうして北条氏綱は今川から駿河半分を手に入れた事で、伊豆・駿河半分・武蔵・上総(かずさ)・下総(しもうさ)を領土とする勢力へのし上がり、関東一帯の覇者としての地位を築き上げるのでした。

まとめ(ボスの一言)



ボス「今回は北条家の初代当主で北条早雲の息子・北条氏綱を紹介したにゃ。
北条氏綱は戦以外にも文化人として知られ、蹴鞠や歌道にも優れた才能を持った人だったにゃ。

また北条氏綱は物流と流通を活発にするため、道を整備し、伝馬制を復活させるなど多くの政策に取り組み、北条家の地位を完璧なものへ仕上げていったそうにゃ。

こうして北条家の地位を盤石なものにした北条氏綱は、55歳で亡くなり、三代目当主に北条氏康が就くことになるにゃ。

北条氏康は一体どのような人物であったのかは次回お送りしたいと思います。

それではまたにゃ~」


参考文献 戒光祥出版 北条氏綱など

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