北条氏康は強すぎる戦国大名!?文武兼備の名将を5分で紹介!!

2020年2月24日月曜日

北条家 北条氏康

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北条氏康(Wikipediaから引用)


5分で分かる「戦国時代」第三回。

今回は北条家三代目の当主である北条氏康について紹介したいと思います。

北条氏康(ほうじょううじやす)を一言で表すと「文武を兼ね備えた名将」と評価されている人です。

本当に北条氏康が「文武を兼ね備えた名将」と言えるのか。

北条氏康の実績などから調べていきたいと思います。

5分程度で読み終わりますので、よかったらカップラーメンの待ち時間などの空いている時間で読んでみてください。

鉄砲の発射音にビビって自害しようとするが・・・・。


北条氏康は「文武を兼ね備えた名将」として高い評価を得ている人物です。

しかし北条氏康の若かりし頃は名将とは程遠い武将で、鉄砲の発射音にビビった事もありました。

北条氏康は鉄砲の発射音にビビったことを恥だと考え自害しようとします。

この時、北条氏綱(ほうじょううじつな)の家臣である清水さんは北条氏康へ「武人は物事に驚くものです。だからそんなに気にすることではありません」と優しく説得。

北条氏康は清水さんの説得を受け入れて自害するのをやめて、堂々と振舞っていくように心がけたそうです。

このエピソードは北条氏康が12歳の頃のお話で、北条氏康もこの頃はまだ普通の青年だったことが伺えます。

初陣で功績を立てる


北条氏康は父・北条氏綱に従って扇谷(おおぎがやつ)上杉家との戦いに参加。

北条氏康はこの戦いが初めての戦でしたが、しっかりと功績を残し、その後も河越城(かわえつじょう)攻略戦などで活躍。

北条家の家臣達は北条氏康の数々の功績により、北条家三代目当主として望み、父である北条氏綱も彼に期待を寄せるようになります。

北条家の当主の座に就く

北条家家紋(Wikipediaから引用)

北条氏綱は55歳で亡くなってしまいます。

三代目の北条家当主は初陣の時から数々の功績を挙げていた北条氏康が就任。

北条氏康は北条家当主になると直ぐに北条家の危機を迎えることになります。

今川義元と扇谷・山内上杉軍の連合軍に挟まれる

今川義元(Wikipediaから引用)

今川義元は北条氏康が北条家の当主に就任した頃、北条家に奪われた駿河(するが)を奪い返すため、北条家と敵対関係にある扇谷上杉家と山内上杉家と連携し、北条家を攻撃します。

扇谷上杉家と山内(やまのうち)上杉家は今川義元が駿河へ出陣したことを知ると、すぐに軍勢を引き連れて、河越城を包囲します。

北条氏康は東に今川家・西に二つの上杉連合軍の大軍に挟まれた危機的状況を脱出するため行動を開始。

駿河を捨てて今川義元と和睦


北条氏康はまず今川家と和解するため、甲斐の武田晴信(たけだはるのぶ)に間に入ってもらい、今川家と和解ができる道を探ります。

北条氏康は武田晴信から「駿河を今川家に譲れば、すぐに和睦できるよ」と情報を貰います。

北条氏康は今川家から奪った駿河を今川家に返し今川と和解。

こうして北条氏康は東からの危機を脱出するのでした。

8万を8千で破る


北条氏康は今川義元と和解すると、河越城を包囲している扇谷上杉家と山内上杉家の連合軍を倒すために行動します。

しかし両上杉家の連合軍は8万の大軍。

河越城を包囲する北条氏康の軍勢はたった8千程度の兵力しかありませんでした。

北条氏康は河越城に篭城している義理の弟・北条綱成(ほうじょうつなしげ)と連携して、連合軍8万へ夜中に攻撃。

北条氏康と綱成が行った両上杉家に対する夜間攻撃は大成功し、扇谷上杉家の当主・上杉朝定(うえすぎともさだ)を討ち取り、扇谷上杉家を滅ぼすことに成功します。

更に山内上杉家にも大打撃を与え大勝利をおさめます。

この戦いは「河越夜戦」と呼ばれる有名な戦いとして歴史に記録されることになります。

武田・今川・北条の三国同盟が成立


北条氏康は河越夜戦で勝利をおさめると、今川義元の重臣・太原雪斎からの誘いを受けて、武田・今川との同盟を締結します。

こうして北条氏康は今川義元と武田晴信との同盟したことで、関東の平定に注力できるようになりました。

しかし北条氏康の前に「越後の龍」が立ちはだかることになります。

上杉軍10万以上が襲来!!危機的状況に陥った北条氏康の行動とは
上杉謙信イラスト

北条氏康は武田・今川と同盟を結んだことで、関東に残った反北条勢力を倒すべく出陣。

まず北条氏康は上野(こうずけ)の中に残っている上杉勢力を倒して、自らの勢力に取り込みます。

北条氏康は上野(こうずけ)に領土を獲得した後、里見家の本拠地である久留里城へ攻撃。

そんな中、越後(えちご)の大勢力であった上杉謙信が軍勢を率いて関東へやってきます。

上杉謙信は関東一帯の反北条勢力に「一緒に北条軍を倒そうよ」と呼びかけると、里見家や佐竹家など多くの勢力が集結。

上杉謙信のもとに集まった兵力は10万以上と言われています。

北条氏康はすぐに久留里城から撤退し、小田原城に篭って上杉軍を迎え撃つための準備を開始。

北条氏康は上杉軍の攻撃に応じないで、小田原城に篭って守備に徹します。

上杉軍は一ヶ月以上小田原城を包囲していましたが、小田原城から撤退していきます。

上杉謙信が撤退した理由は関東一帯がコメ不足に陥っていたことや北条家と同盟している武田軍が上杉家の領土へ攻撃してきたことなどがきっかけでした。

こうして北条氏康はなんとか上杉軍を退けることに成功します。

三国同盟が決裂!!北条氏康vs武田信玄の戦いが始まる


北条氏康が上野を領土とした頃、今川義元は大軍を率いて西へ向かって出陣。

しかし今川義元は尾張の織田信長の奇襲作戦によって桶狭間で亡くなってしまいます。

武田信玄は今川義元が亡くなったことを知って、三国同盟を破棄して今川家の領土である駿河へ向けて出陣。

北条氏康は自分の娘婿である今川家を助けるため、北条家の当主となっている北条氏政(ほうじょううじまさ)を駿河へ出陣させます。

更に北条氏康は徳川家と同盟を結んで、東(徳川)と西(北条)から武田軍を攻撃する体勢を整えます。

武田軍は徳川・北条・今川の勢力と戦う不利を察して、駿河から撤退するのでした。

その後武田軍は北条家の領土である武蔵へ攻撃を仕掛け、そのまま小田原城を包囲。

北条氏康は武田軍がやってくると守りに徹したため、武田軍は小田原城を陥落させることができず、撤退していきます。

北条氏康は氏政に命じて、撤退する武田軍を追撃させます。

武田軍は荷物を捨てて迅速な行動で撤退していったため、氏政軍や他の北条軍は武田軍に追いつけませんでしたが、三増峠で追いつき武田軍に攻撃。

北条軍は武田軍に対して優勢でしたが、山県昌景率いる奇襲部隊の攻撃によって、軍の指揮系統が乱れて崩れてしまい、武田軍に敗北してしまいます。

こうして三増峠の戦いは北条軍の敗北に終わります。

武田軍は三増峠の戦いの後、再び駿河へ向けて攻撃を再開。

北条氏康は体調が悪化していましたが、今川家を助けるために援軍を送りますが、武田軍の勢いに勝つことができず、駿河の一部を保持するのが精一杯でした。

その後北条氏康は病状が悪化し57歳で亡くなります。

北条氏康は民衆に優しい政治を心がける


北条氏康の戦での活躍を紹介しました。

ここからは北条氏康の領内で行った内政政策についてご紹介してきます。

北条氏康は民衆に優しい政治を心がけており、関東一帯で大地震が起きた際、税制改革を行い、借金がある民の借金を減らしてあげたりする政策を行います。

また領内に目安箱を設置します。

この目安箱は民衆同士が紛争を起こした際、紛争を起こした当事者達が戦いによって紛争を解決するパターンが多々ありました。

北条氏康は目安箱を設置することで当事者間の紛争を止めさせ、紛争が起きる前に話を聞いて平和的解決を実現させるべく目安箱設置を領内全土で実施していきます。

この結果、紛争は目安箱設置以前と比較しかなり減少したそうです。

北条氏康はこれら平和的な政策だけでなく、父・北条氏綱や祖父・北条早雲らが行った陸上交通の制度の整備や物資の流通を活性化させるための政策などを実施。

北条氏康はこうした政策などを行っていき、関東における北条家の内政を整え、関東最大の勢力として、北条家の地位を確実にしていくのでした。

管理ネコ・ボスの一言


ボス「今回は北条家三代目当主である北条氏康を紹介したにゃ。

北条氏康は祖父や父に見劣りしない名君と呼ぶことができる人間だったと思うにゃ。

ところで名君と呼んで差し支えない北条氏康の逸話をひとつ紹介して終わりにしたいにゃ。

北条氏康は嫡男・北条氏政と一緒にご飯を食べていました。

北条氏政はご飯の入っている椀に味噌汁を入れて食べ始めます。

北条氏康は氏政の姿を見て、突然涙を流し始めます。

北条氏康は「お前の代で北条家も終わりじゃ」と宣言。

氏政は「どうしてそのようなことを仰るのですか。」と反論します。

すると北条氏康は「人は一日に二回ご飯を食べ、飯に汁をかけるのは常日頃やっていることだから、汁の適量はわかっているはずだ。

しかし氏政は毎日やっていることなのに二度も汁を椀へ入れていると言うことは、毎日やっていることも覚えられないということだ。

これでは人の心を読んだり、人の能力を見極めたりすることは難しく、厳しい戦国の世の中で北条家を残していくのは難しいだろう」と予言したようだにゃ。」

ボス「本当に北条氏康の言うとおり、北条氏政の代で北条家は滅亡してしまうのか。

次回北条氏政の経歴について紹介するので、楽しみにしているにゃ。

それではまたにゃ~


参考文献 戒光祥出版 北条氏康など


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