名将・武田信玄は何度も敗北していた!?武田信玄が敗北した戦を5分で紹介!!

2020年2月28日金曜日

戦国時代 武田家 武田信玄

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武田信玄(Wikipediaから引用)

戦国時代の大名の中でも一、二を争う有名人・武田信玄(たけだしんげん)。

武田信玄は織田信長や徳川家康などの大名から恐れられた戦の名人ですが、何度も敗北しているのを知っていますか。

今回は武田信玄が敗北した戦について5分で分かりやすく解説していきたいと思います。

5分で読めるようにまとめていますので、カップラーメンの待ち時間などの空き時間に読んでみてはいかがでしょうか。

連戦連勝の武田信玄


武田信玄は父・武田信虎(たけだのぶとら)を甲斐(かい)の国から追放し、武田家のあとを継いで当主になります。

その後武田信玄は信濃の諏訪家や高遠家などを滅ぼして信濃(しなの)南部を手に入れます。

その後武田信玄は今川・北条家との三国同盟が成立すると、再び信濃を攻略するために出陣し、関東管領の上杉家と信濃の笠原家の連合軍に大勝利をおさめ、笠原家を倒して佐久(さく)郡を手に入れます。

武田信玄は戦えばほとんどの戦に勝つことができ、連戦連勝で武田家の家中も盛り上がっていました。武田信玄は次に北信濃の大名・村上家を討伐するために意気揚々と出陣します。

武田信玄が大敗北「上田原の戦い」


武田信玄は北信濃の大名・村上義清と戦うため、砥石城へ向かいます。

村上義清は武田軍を追い払うため、自ら軍勢を率いて上田原へ向かって進んでいきます。

こうして両軍は上田原で決戦。

武田信玄は士気も高く簡単に村上軍を撃破できると考え、戦場でも武田軍が村上軍を簡単に撃破していました。

武田軍の重臣・板垣信方は村上軍を撃破したことで、調子に乗ってしまい戦闘が続いているにも関わらず、どの敵将を討ち取ったのかを調べ始めます。

村上軍はこのチャンスを逃さす、板垣信方へ激しい攻撃を開始。

板垣信方は村上軍の攻撃に耐えられず敗北し、板垣信方も討ち取られてしまいます。

更に村上軍は板垣軍が崩れたことで全軍で攻撃を行います。

この結果、武田軍は村上軍の攻撃によって大敗北し、板垣信方や甘利虎泰などの名将を失ってしまうのでした。

武田信玄は上田原の戦いで村上軍に敗北した後、軍勢を撤退させて甲斐へ引き上げるのでした。

今まで戦えば連戦連勝していた武田軍にとってこの敗北はかなり大きなショックだったと思います。

また武田信玄にとっても忘れることができない負けで、リベンジを誓って撤退していきます。

下準備を行いリベンジ戦へ


武田信玄は力を蓄えて上田原の戦いに敗北した、リベンジを果たすべく再び村上義清と決戦するため、砥石城(といしじょう)へ向けて出陣します。

武田信玄は砥石城を攻略するための下準備として、まず村上義清の家臣達を寝返らせ、村上義清の力を減らしてから砥石城を包囲します。

しかし砥石城は一ヶ月間、武田軍の包囲を受けても落ませんでした。

武田信玄は砥石城の攻略を諦めて撤退することを決め、軍勢を甲斐へ向けて退却します。


武田信玄のリベンジは大敗北で終わる


村上義清は砥石城から武田の軍勢が撤退していく様子を見つけると、すぐに砥石城から出陣して撤退している武田軍へ追撃を行います。

武田信玄はしつこい村上軍の追撃に苦戦することになります。

こうして村上義清は撤退していく武田軍へ激しく攻撃し、午後六時頃あたりが闇に包まれ始めたので、諦めて砥石城へ帰っていきます。

武田信玄は村上軍が追撃を諦めたので、ようやく軍勢を撤退することができました。

しかし武田軍が受けた損害は大きく、横田高松や小沢式部など多くの武将が討ち死にし、多くの兵士達が犠牲になりました。

ある書物によれば武田軍の損害は5000人ほどだと言われています。

こうして武田信玄のリベンジ戦は大失敗に終わってしまうのでした。

その後の村上義清と武田信玄

武田信玄は二度も村上義清に敗北してしまいますが、その後どうなったのでしょうか。

武田信玄は村上義清の家臣達に対して調略を行い、村上家の家臣達を結束をバラバラにしします。

武田信玄は村上家の武将達の結束がバラバラになった頃を見計らって、砥石城へ攻撃を行い、手に入れることに成功。

村上義清は砥石城から逃亡し、本拠地である葛尾城(かづらおじょう)へ攻撃を行います。

村上義清は葛尾城に籠って武田軍と戦おうとしますが、家臣達がいつ裏切るからわからない状況だったため、葛尾城を捨てて上杉謙信の元へ逃亡します。

こうして武田家は村上義清を追放し、信濃を手に入れることになります。

管理ネコ・ボスのまとめ


ボス「今回は武田信玄の敗戦について紹介したにゃ。

武田信玄は上田原の戦いと砥石城の敗北によって、武将として苦い経験を得ることになるにゃ。

だけど武田信玄はこの敗北を糧にして武将としてひと皮向けることになり、大きな成長を遂げることになるにゃ。

ボスも外のネコと戦って牙を折られた時は泣きそうになったけど、あの戦いがあったからこそ、頭と手を使って戦うようになったにゃ。

失敗は痛いし苦いけど成長するためには必要なことだにゃ!!

読者のみなさまも失敗を恐れずにまえ進むといいにゃ」

参考文献 吉川弘文庫 武田信玄など

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