このモンゴル帝国を作り上げたのは歴史の教科書にも登場するチンギス・ハーンです。
現在北方謙三氏の連載「テムジン紀」が話題を博していますが、チンギス・ハーンの一族ってどれくらいいたのか。
また彼の一族はモンゴル帝国で何をしていたのかなどを中心に紹介してきたいと思います。
更に彼の兄弟についても一緒に紹介していきますので、よかったら最後までお付き合いください。
チンギス・ハーンの一族は何人
チンギス・ハーンの一族は一体何人ぐらいいたのでしょうか。
色々と書籍を調べてみた結果、兄弟が5人程。
更にチンギス・ハーンの息子達と奥さんを合わせて20人程いたようです。
これには婚族など入っていないため、婚族関係を入れれば、もっと人数が多くなると思います。
チンギス・ハーンの子孫は1600万人!?
チンギス・ハーンの一族について紹介しました。
次にチンギス・ハーンの子孫は一体何人ぐらいいるのでしょうか。
研究によれば、チンギス・ハーンの子孫は約1600万人いるそうです。
1600万人と言えば東京都の人口よりも多く、東京都に住んでいる人すべてがチンギス・ハーンの子孫という事になります。
「凄い」一言しか出てきませんね。
チンギス・ハーンの息子たちをご紹介
チンギス・ハーンの息子はジョチ・チャガタイ・オゴテイ・トルイ・コルゲン・チャウル・ジョルチダイ・ウルジュカ・名前不明の8人がいます。それぞれ紹介してきたいと思います。
チンギス・ハーンの長男だけど優遇されず、最後は無念の疑念を持たれて亡くなったジョチ
Wikipediaから引用 |
彼はチンギス・ハーンの長男でありながら、他の国家のように優遇されることはありませんでした。
古代中国や日本では君主の長男がよっぽどダメ人間だったり、病死などで亡くならない限り、長男があとを継ぐのが一般的です(例外はありますが)。
しかしモンゴルでは長男があとを継ぐしきたりはありませんでした。
ジョチは父・チンギス・ハーンに従って戦で活躍し、モンゴル平原統一戦や宿敵・ナイマン帝国討伐戦、金国討伐戦で活躍。
ジョチは金国を倒す戦で、画期的な戦い方をしてきます。
その戦い方はモンゴル族が日常茶飯事に行っていた略奪や破壊を避けるため、まず城を包囲したら敵へ降伏を促して、敵味方の兵士が倒れない方法を取っていたそうです。
このようにジョチは敵味方に対して、一番優しい将軍であった可能性があります。
チンギス・ハーンの長男として活躍して成長したジョチ。
ジョチはチンギス・ハーンに従わない部族を倒す戦いをしてましたが、病気にかかってしまい諸部族を倒すために出陣できない状況になってしまいます。
ジョチはこの命令を受け取る前に亡くなってしまうのでした。
父・チンギス・ハーンに疑われ、亡くなってしまったジョチ。
チンギス・ハーンはジョチが病にかかっている真実を知るとかなり落ち込んで、ジョチを失った悲しみに暮れていたそうです。
チンギス・ハーンの次男・チャガタイは戦も上手で厳格な性格だった!?
Wikipediaから引用 |
チャガタイは兄貴・ジョチと同じように戦をさせても上手く、金国を倒す戦や西の諸部族族を倒す戦で大活躍。
このように戦に強いチャガタイですが、自分に厳しい人物でもありました。
彼の自分に厳しいエピソードをご紹介してきたいと思います。
チャガタイはある日、チンギス・ハーンの跡を継いだオゴテイと一緒にお酒を飲んでいましたが、酔っ払ってオゴテイへ悪口。
その後チャガタイは君主であるオゴテイに悪口を言ったことを後悔。
チャガタイはオゴテイへ「罰して欲しい」とお願いします。
しかしオゴテイは「信頼している兄を罰することはできない」と拒否。
するとチャガタイは自分を罰してオゴテイの悪口を言った自分を罰するのでした。
このようにチャガタイは自分自身にも厳格な性格の持ち主でした。
チンギス・ハーンの三男・オゴテイは穏やかな人!!
チンギス・ハーンの三男はオゴテイと言います。
彼も兄達と同じく非常に戦が巧く、チンギス・ハーンの戦に従って中央アジア一帯を治めていたホムラズ・チャーという国を倒すときに活躍。
オゴテイは戦も巧い人でしたが、性格は非常に穏やかな人でした。
そのおかげでオゴテイはチンギス・ハーンが亡くなった後、モンゴル帝国の主となって、一族をまとめあげて、より強い国を作ることになります。
チンギス・ハーンの四男・トルイは連戦連勝の将軍
チンギス・ハーンの四男はトルイです。
トルイはチンギス・ハーンの諸部族を倒す戦や当時中国を治めていた金国を倒す戦、モンゴル帝国を広げるために西の王国を倒す戦などで大活躍し、連戦連勝の無敗将軍と言えるでしょう。
またトルイはチンギス・ハーンの後継者の一人として挙げられていましたが、後継者の地位をオゴテイに譲る謙虚さもあります。
他にもトルイは一族内や将軍達からも人望があり、かなり優秀な人物であったことがうかがえます。
チンギス・ハーンの側室の子供・コルゲンが一番愛されていた!?
チンギス・ハーンの庶子・コルゲン。
彼はチンギス・ハーンの側室の子供たちの中でも一番愛されていた人で、チンギス・ハーンの正妻であるボルテの子供たちと同じ位の広さの土地をもらっていました。
しかしコルゲンは現在のウクライナ近辺の王国を倒す戦で、戦死してしまうかわいそうな人でした。
チンギス・ハーンの息子たちで一番すごい人は誰!?
ここまでチンギス・ハーンの息子達を紹介してきましたが、結局誰が一番すごいのでしょうか。
筆者であるニャンコの独断と偏見によりますが、一番すごいのはトルイだと思います。
その理由としてはトルイの戦の巧さ+人々から人望があった点です。
もしオゴテイが生まれていなければ、彼がチンギス・ハーンの跡を継いで、モンゴル帝国の主になっていたと思います。
皆さんはどのように思いますか。
「番外編」チンギス・ハーンの兄弟達を紹介!!
ここからは番外編としてチンギス・ハーンの兄弟たちを紹介します。
チンギス・ハーンの兄弟は四人います。
次男:ジョチ・カサル、三男:カチウン、四男:テムゲ・オッチギン、異母弟:ベルグティ・ノヤンです。
彼らがどのような活躍をしたのかは、次回紹介していきたいと思います。
管理ネコ・ボスのまとめ
「今回はチンギスハーンの一族について紹介したにゃ。」
「これを読めばより「チンギス紀」を面白く読めると思うにゃ。」
「これからもよろしくお願いしますにゃ~」
「チンギス・ハーンのことをもっと知りたい方はこちらの記事を読むといいにゃ~」
「テムジン紀」テムジンは史実でも苦労人!?それとも裕福なお坊ちゃんだった!?
参考文献 モンゴル秘史など
「これを読めばより「チンギス紀」を面白く読めると思うにゃ。」
「これからもよろしくお願いしますにゃ~」
「チンギス・ハーンのことをもっと知りたい方はこちらの記事を読むといいにゃ~」
「テムジン紀」テムジンは史実でも苦労人!?それとも裕福なお坊ちゃんだった!?
参考文献 モンゴル秘史など
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