北条早雲(Wikipediaから引用) |
戦国時代の大名には色々と名言を持った人物がたくさんいます。
そこで今回は北条家の基礎を作った名君・北条早雲(ほうじょうそううん)と北条氏康(ほうじょううじやす)のエピソードについて紹介していきたいと思います。
彼ら二人にはどのようなエピソードを歴史上に残したのでしょうか。
5分でわかりやすく北条家のエピソードを紹介しているので、カップラーメンの待ち時間など空いた時間で読んでみてください。
北条早雲と6人衆が織り成す名言
北条早雲は駿河(するが)の国を拠点として、勢力を拡大し北条家の礎を作った戦国大名ですが、駿河(するが)へ向かう前から大きな勢力や兵士を持っていたわけではありません。
北条早雲は元々備中国(びっちゅうこく・現在の岡山県)出身の人でしたが、ある事件がきっかけとなり駿河へ向かうことになります。
北条早雲が関わった事件が何かを知りたい方はこちらの記事をご覧下さい。「戦国時代」北条早雲を5分でわかりやすく解説!!カップラーメンの待ち時間にどうぞ!!
北条早雲は自分が持っていた領地を売り払って駿河への旅代に当て、六人のお供と一緒に向かいます。
北条早雲と一緒に駿河へ向かった六人は大道寺氏・多目氏・荒木氏・山中氏・荒木氏・在竹氏です。
北条早雲は彼ら六人を引き連れて駿河へ向かう途中、伊勢神宮で酒を酌み交わします。
この時北条早雲は六人へ「もしこの中の誰かが、国持大名になったら、国持大名になった人へ仕えよう」と提案。
六人は北条早雲の提案を了承し、駿河へ向かいます。
その後北条早雲が国持大名になったことで、北条早雲が伊勢神宮での約束通り、六人を召抱えて家来にします。
しっかりと人との約束を守る北条早雲でした。
馬を盗んだ罪人と国を盗んだ罪人
北条早雲の少し不思議なエピソードを紹介したいと思います。
北条早雲は歴代の北条氏の本拠地となる小田原城を手に入れます。
北条早雲は小田原城を手に入れたある日のこと、城下で馬を盗んだ罪人を捕らえれ、北条早雲の元へ連れてこられます。
北条早雲はこの罪人へ「どうして馬を盗んだのだ」と質問。
すると馬を盗んだ罪人は悪いして反省するどころか北条早雲へ「俺は馬を盗んだ罪人だけど、お前は国を盗んだ罪人だ。どちらが悪いのだろうか」と質問を投げ返してきます。
北条早雲は馬を盗んだ罪人の言葉にびっくりし、彼の様子をじっとうかがった後「お前の言うことにも一理あるな。中々見所のある罪人だ。許してやれ」と言って釈放します。
なぜ北条早雲は馬泥棒を罪に問わずに釈放したのでしょうか。
その理由ははっきりとしません。
ニャンコの憶測ですが、北条早雲は馬を盗んだ罪人と国を盗んだ罪人も罪人であることに変わりなく、罪人が罪人を捕らえた状況が面白くて許してやったのではないでしょうか。
北条氏康は前線に立って傷だらけになりながら実力を示す
北条家三代目当主・北条氏康。
彼は武田家・上杉家・関東に散らばる反北条勢力と戦い続けた大名であり、「相模の獅子」のあだ名をつけられていました。
そんな北条氏康の初陣は16歳の時でした。
北条氏康は父・北条氏綱(ほうじょううじつな)と一緒に扇谷(おおぎがやつ)上杉家の当主・上杉朝興の軍勢を打ち破り、大勝利をおさめます。
その後北条氏康は亡くなるまでに戦った戦闘で36回も勝ち、一回も敵に後ろ見せたことのない猛々しい大名でした。
更に北条氏康は七つの傷を持ち、顔にも刀傷が残っていました。
そのため北条家の家中の人々は北条氏康の傷のことを「氏康傷」と呼んで、敬っていたそうです。
北条氏康は大名であるにも関わらず、正面から戦いを繰り広げて実力を示し、部下達から信頼を得ていた大名であったことが伺えます。
現代社会でも部下を率いる立場に立っている読者も多いと思いますが、部下の心をつかむためには、部下を率いている上司がしっかりと実力を示すことが大切であると、氏康のエピソードが物語っているのではないでしょうか。
息子に失望して涙を流す北条氏康
北条氏康はある日息子・北条氏政や家臣達を呼んでご飯を食べていました。
北条氏政はご飯に汁を二回かけて食べていましたが、北条氏康は突然泣き始めてしまいます。
この姿を見た家臣や北条氏政はびっくりしてしまいます。
どうして北条氏康は泣いていたのでしょうか。
その理由は北条氏康曰く「北条家が氏政の代で終わってしまう」からだそうです。
北条氏康はどうして北条家が終わってしまうと予見したのでしょうか。
北条氏政や家臣たちはどうして北条氏康が「北条家の滅亡」を予見したのか聞いてみました。
すると北条氏康は「今氏政のご飯を食べているところ見たが、お前は二度も飯に汁をかけている。ご飯に汁をかけるのは毎日やっていれば、自ずとどのぐらいの汁を飯にかければいいかわかるはずだ。しかしお前は、飯に汁をどの程度かければいいのかの加減が分かっていない。これでは氏政が人の心の機微が分からず、いい家臣に恵まれることはないであろう。人の心の機微が分からなければ、敵国の大名との外交における駆け引きを分かるわけがない。
この二つの理由から北条家が氏政の代で終わってしまうと予見したのだ」と涙を流しながら語ります。
北条氏康の予見通り、北条氏政が北条家の家督を継いで運営していきますが、豊臣家の攻撃を受けて北条家は滅亡してしまいます。
北条氏康の予見力の凄さもすごいですが、天上から北条家滅亡の様子をどのようにして見ていたのでしょうか。
管理ネコ・ボスの一言ボス
ボス「今回は北条早雲と北条氏康のエピソードを紹介したにゃ。
ふたりのエピソードは現代社会でも使える場面があると思うので、これを読んで実践してみるといいかもしれないにゃ。」
ボス「戦国時代のお話はまだまだ続くので、気になる方は見てくれると嬉しいにゃ」
参考文献 東邦出版 日本の大名・旗本の痺れる逸話-名将・知将の頭脳とハート-など
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