【戦国時代】食べ物を借りまくった結果悲惨なことに!?戦国大名達の兵糧確保の方法をご紹介!!

2020年7月15日水曜日

戦国時代

t f B! P L
こんばんわ。

突然ですが、皆様はお腹が空いたときどうしますか。

コンビニやスーパーに材料を買ってお家でご飯を作りますか。

それとも友達や家族を誘ってご飯を食べに来ますか。

いずれにしてもお腹がすいたらお金を払って何かを買わなくてはいけませんよね。

戦国時代の大名達も戦が始まる前に食べ物を買って兵士達に支給していましたが、食べ物を買いまくったせいで悲惨な状況になる事もありました。

ホントに悲惨な状況になってしまった戦国大名が居たのでしょうか。

今回は戦国時代の食べ物事情についてご紹介していきたいと思います。

食べ物を買いまくって悲惨な状況になってしまった戦国大名

戦国時代の大名達は戦が始まる前に食べ物を確保してから、戦に臨んでいました。

中国地方の大名である毛利家も戦が始まる前にしっかりと食べ物を確保してから、織田家との戦に臨んでいましたが、どのようにして食べ物を調達していたのでしょうか。

毛利家は織田家と長い間戦いを継続していた為、資金に余裕がなくなりってしまいます。

そこで毛利家は商人もしくは家来から食べ物を提供するように要請。

毛利家から要請を受けた商人もしくは家来は食べ物を提供し、後で食べ物を返済してもらう形で渡していました。

こうして毛利家は大量の食べ物を確保していましたが、ある時毛利家に食べ物を提供していた一人の家来から苦情が入ります。

その家来は「以前私は毛利家にお米を600俵提供していましたが、いつ頃返していただけるのでしょうか。お奉行様に何度もお米を返してほしいと訴えても、聞き入れてもらえず、お米を提供してから2年もの歳月が過ぎました。そろそろ返していただかないと私たち家族も植えてしまいます。早急に返してください」と述べます。

毛利家の当主である毛利輝元はこの家来の苦情を聞き入れたそうです。

ついでにこの家来から借りたお米は600俵でしたが、2年間の利子がついて約2400俵ほどに膨れ上がっていたそうです。

今回は毛利家を例にご紹介しましたが、各地の大名も商人もしくは家来からお米を借り入れてから、戦へ出陣するパターンもありました。

食べ物を買い入れして長期戦に備える!!

資金に余裕が無くなると食べ物を借り入れて賄ってきた毛利家ですが、余裕がある場合はどのようにしていたのでしょうか。

「関東の虎」と渾名を付けられた北条氏康(ほうじょううじやす)は、上杉謙信が関東の豪族達を集結させて小田原城へ進軍してきます。

北条氏康は上杉謙信の率いる大軍と野外で決戦するのではなく、小田原城に引きこもって上杉軍と戦う事を決断。

北条氏康は小田原城に籠るために必要なお米を確保する為、品川の港に寄港する商人船から大量にコメを買い付けて小田原城へ運び込んでいました。

上杉謙信が小田原城へ攻め寄せてきた時、関東地方は不作でお米が全然取れず、各地の村で兵糧が不足している状態でした。

その為北条氏康は大量のお米を買い入れて、小田原城に引きこもるのでした。

上杉謙信は小田原城を何度も攻撃したり、ぐるっと城を包囲して北条氏康の根負けを狙います。

しかし北条氏康は小田原城の鉄壁の守りとお米を大量に買い入れて引きこもった事で、上杉軍が先に根負けしてしまい撤退するのでした。

話がまたまたわき道にそれてしまいましたが、北条家のように資金に余裕がある場合や不作で食べ物が収穫できない場合は商人から大量にお米や食べ物を買い入れるパターンもありました。

戦国大名の食べ物を借り入れる以外の調達方法とは??

戦国大名は毛利家のように商人もしくは家来から食べ物を借り入れて調達していましたが、それ以外の方法でもちゃんと調達していました。

今回も北条氏康(ほうじょううじやす)を例に紹介したいと思います。

北条氏康は宿敵である里見家・太田家が大軍を集めて、北条家攻撃の準備をしているとの情報を得ます。

更に北条氏康の元に「里見家と太田家が兵糧の準備に手間取っている」との情報が入ってきます。

北条氏康の家来達は「殿。今こそ攻撃のチャンスですぞ」とアドバイス。

北条氏康は家来達のアドバイスに従って里見家・太田家の軍勢を攻撃する決断を下し、領地の兵士達へ「今から里見家・太田の連合軍を攻撃するからすぐに小田原城へ三日間食べられる食べ物を持参して集まってくるように。もし食べ物を持ってこれない人がいるなら、食べ物を渡すからすぐに来るように」と命令を出します。

この命令を知った北条家の兵士達は各地から続々と食べ物をもって集結。

北条氏康はこうして集まってきた兵士達を引き連れて、里見家・太田家の連合軍を撃破して、勝利を手にするのでした。

ついでにこの戦いを「第二次国府台合戦(だいにじこうのだいかっせん)」と言います。

話が脇道にそれてしまいましたが、上記で紹介したように戦国時代の大名は北条家のように短期決戦を行う場合、兵士達が自ら食べ物を持参して戦いへ出陣するパターンもありました。

しかしこのパターンは短期決戦の場合のみで、長期にわたる戦いの場合は、大名達が借り入れした兵糧を支給する場合が多いと思われます。

一番手っ取り早い食べ物獲得法とは!?

今回は戦国大名達が色々な方法で食べ物を獲得する方法をご紹介してきましたが、どれも大名達にとってデメリットが存在する方法でした。

ここでは大名達にとってメリットしかない食べ物調達方法をご紹介したいと思います。

メリットしかない食べ物獲得方法は攻め込んだ敵地の作物を刈り取ってしまう方法です。

この方法は「作薙ぎ(さくなぎ)」と呼ばれる方法です。

この方法を採用すれば、自前で兵糧を調達しなくても敵地から兵糧を獲得する事が出来ますので、大名達にとって資金を減らして食べ物を獲得しなくて済みますし、商人や家来達から借入する必要もありません。

更にこの「作薙ぎ」ですが、食べ物を獲得する以外のメリットとして、敵地の食べ物を少なくする事が出来るメリットがあります。

そのため「作薙ぎ」は収穫時に行えば、一石二鳥のお得な獲得方法なのです。

しかし「作薙ぎ」の唯一のデメリットとして、敵地を自国の領土とする場合、領民の恨みを買ってしまう可能性がありますので、占領後の統治政策には十分な配慮が必要になります。

ですが、メリットの多い作戦ですので、「作薙ぎ」作戦を行う戦国大名も多くいたようです。

ニャンコのまとめ


今回は戦国時代の大名達の食べ物獲得方法についてご紹介しました。

それではここからは今回の記事のまとめをご紹介したいと思います。

「【戦国時代】食べ物を借りまくった結果悲惨なことに!?戦国大名達の兵糧確保の方法をご紹介!!
  • 戦国大名は余裕がない場合、商人もしくは家来から借り入れをして食べ物を獲得していた
  • 戦国大名は余裕がある場合、商人から大量に食べ物を獲得していた
  • 戦国大名は短期決戦を行う場合、兵士達が自分たちで兵糧を調達するように命令を出していた
  • 戦国大名は敵地から作物を刈り取る「作薙ぎ」作戦を実行して食べ物を核とする場合もあった
以上になります。

今回のニャンコはぽちたそさんに書いていただきました。

美味しそうにバームクーヘンを食べているニャンコも可愛くないですか。

当ブログの編集長ネコ・ボスも大満足していました。

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それではまた次回もこのブログでお会いしましょう。

参考文献 戦国大名の兵糧事情など 吉川弘文館

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