徳川信康は織田信長に殺害されたわけではなかった!?徳川信康の死因は父との不仲が原因だった!!

2020年7月19日日曜日

織田家

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こんばんわ。

ニャンコです。

今回ご紹介するのは「麒麟がくる」に登場した徳川家康の息子である徳川信康(とくがわのぶやす)についてです。

徳川信康は織田信長の娘・五徳姫(ごとくひめ)と結婚することになりますが、若くして亡くなってしまいます。

徳川信康が亡くなった原因は織田信長が徳川家康に殺害するように命令した事がきっかけで殺害されたと言われています。

しかし本当に織田信長が徳川家康に徳川信康を殺害するように命令したのでしょうか。

この点について歴史に詳しくないニャンコが分かりやすくまとめてご紹介してきたいと思います。

今まで伝えられてきた徳川信康の死因とは

今回は徳川信康の死因についてご紹介していきますが、現在までに徳川信康の死因がどのように伝えられてきたのかここで少しご紹介したいと思います。

徳川家筆頭家老として知られる酒井忠次(さかいただつぐ)は安土城の織田信長と会談。

織田信長は娘であり、徳川家康の息子・徳川信康の奥さんである五徳姫からの手紙を披露しています。

五徳姫が織田信長へ送った手紙の内容は徳川信康がいかに凶悪な人物であるかについて書かれていた物でした。

更に五徳姫の手紙には徳川信康の母親である築山殿(つきやまどの)が「武田家と内通しているようです」とも書かれていました。

織田信長は酒井忠次へ手紙の内容を確認していきますが、酒井忠次は手紙の内容に関して一つも反論するしないで、うなずいてばかりでした。

その為織田信長は酒井忠次へ「信康殿はそのように凶暴な人物であれば、殺害するように家康殿へ伝えよ。」と述べます。

酒井忠次は織田信長が話した内容を徳川家康に伝え、家康は織田信長の言う通り、息子である信康を殺害してしまうのでした。

上記が昔から伝わっている徳川信康殺害の主な要因となっています。

徳川信康殺害原因のまとめ
  • 徳川信康が凶暴であると五徳姫が織田信長へ忠告
  • 織田信長は酒井忠次に手紙の内容について確認を取るもすべて事実であることが判明
  • 織田信長は徳川信康殺害を徳川家康に命じる
以上が今まで伝わってきた徳川信康殺害の原因になります。

ですが、本当に織田信長は徳川信康と五徳姫の仲が悪いだけで、信康殺害を徳川家康へ命令したのでしょうか。

徳川信康が殺害された原因は五徳姫との関係が不仲であるだけが原因ではなく、武田家に内通していた事が起因となって殺害されてしまったようです。

この内容は信長公記の中でも一番古い本「安土日記」と呼ばれる書物に記載してあります。

このことが原因で徳川信康は殺害されてしまいます。

しかし色々な史料を漁ってみると上記でお話した原因以外にも徳川信康が殺害された可能性が高い事柄がありました。

それは一体どのような事柄だったのか。

この事柄についてご紹介したいと思います。

徳川家康と徳川信康はとっても仲の悪い親子だった??

徳川家康と徳川信康が仲の悪い親子でした。

その証左として「当代記(とうだいき)」と言われる書物には「父である徳川家康の目依頼を度々無視して重臣達にもひどい事を何度も行い、織田信長殿を軽く見ている」と記載されています。

このことから徳川家康と徳川信康の関係が良くなかった事がうかがえます。

徳川家康は息子の事を織田信長へ相談していた

徳川家康と徳川信康の関係はあまりよくなかったと先ほどご紹介しました。

しかし徳川家康は自分の判断で徳川信康を厳しくしつけるわけにはいきません。

その理由は徳川信康が織田信長の娘である五徳姫を奥さんに迎え入れていたからです。

そのため徳川家康は自分の息子がとんでもなく悪い事ばかりしていたので、織田信長へ「うちの息子は父である私の命令も聞かず、家来達にもひどい事ばかりし、義父である信長殿の悪口も言っているんです。私は父親としてどうすればいいですかね」と重臣である酒井忠次に手紙を持たせて織田信長に相談していたそうです。

織田信長は徳川家康の相談を聞いて「そうか。信康はそんなに悪いやつなのか。では家康殿の思う通りに処置してかまわないから」とアドバイス。

このアドバイスを酒井忠次から聞いた徳川家康は「了解っす」と頷いた後、徳川信康が住んでいた岡崎城(おかざきじょう)から追放してしまうのでした。

そしてここからが一番重要な事なのですが、織田信長は徳川家康へ「家康殿の思う通りに処置してかまわないから(当代記から脚色)」と述べています。

ここから分かることは織田信長が徳川家康の息子である徳川信康を殺害するように命令したわけではなく、徳川家康に徳川信康の事を任せているのです。

もしこのことが事実であるのならば、織田信長が徳川信康を殺害するように徳川家康へ命令したのではなく、徳川家康が徳川信康を殺害する事を決断した事になります。

また悪意をもって徳川家康を見るのであれば、上記で紹介した武田家と徳川信康が内通したとの話も徳川家康が自分ででっち上げてから、徳川信康殺害の承諾を織田信長に得たとも考えられなくありません(ニャンコの推測)。

徳川家康が徳川信康を殺害した真実はまだわからない為、断定することは出来ません。

しかし一つ言える事は織田信長が徳川信康殺害を徳川家康へ命令したわけではない事だけは確かだと思います。

編集ネコ・ボスのまとめ


ボス「今回は徳川信康の死因について色々とご紹介してきたにゃ。

ここからは今回の記事についてまとめていきたいと思うにゃ。

徳川信康は織田信長に殺害されたわけではなかった!?徳川信康の死因は父との不仲が原因だった!!
  • 徳川信康と徳川家康の親子関係は仲が悪く、徳川信康をどのように扱えばいいのか織田信長に相談していた
  • 織田信長は徳川信康の日ごろの悪行を聞き、徳川家康に徳川信康の処置を任せる。
  • 徳川家康は織田信長から徳川信康についての委任を受けた後、徳川信康を岡崎城から追放後、殺害する
以上になるにゃ。

今までは織田信長の命令を受けた徳川家康が苦渋の決断をして徳川信康を殺害したように思われているけど、もしかしたらこのブログでお伝えした事が事実かもしれないニャ。

もちろん断定することは出来ないけど。

でも可能性の一つして考えてみるのも、歴史を知る上で一つの楽しみになるんじゃないかニャ。

僕のブログでは今回ご紹介した記事以外にも

それじゃ皆さんまたニャ。」

参考文献 中公新書 「信長公記」和田裕弘など

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