ニャンコです。
今回紹介するのは「麒麟がくる」に登場する可能性が高く、織田信長の美濃攻略の重要人物である美濃三人衆と呼ばれる三人をご紹介したいと思います。
- 美濃三人衆とはだれを指すのか
- 彼等は一体どのような人物であったのか。
- 「麒麟がくる」には果たして登場するのか。
などを歴史に詳しくないニャンコが分かりやすくまとめていきたいと思います。
美濃三人衆とは誰の事??
美濃三人衆とはこの言葉から予想すると三人いると考える事が出来ますが、いったい誰と誰と誰を指して三人衆と呼ぶのでしょうか。
美濃三人衆とは斎藤義龍(さいとうよしたつ)の家老である安藤守就(あんどうもりなり)・稲葉一鉄(いなばいってつ)・氏家卜全(うじいえぼくぜん)の三家老を指し、彼らが美濃の西側に領地を持っていた事から美濃三人衆と呼ばれるようになります。
美濃三人衆の三人は斎藤氏から離脱して織田信長に仕え、活躍していきますが、どのような活躍をしたのでしょうか。
三人で一緒に活躍する美濃三人衆
美濃三人衆は織田信長に仕えた後、三人一緒に行動して活躍しています。
どのように彼らが活躍したのかをここではご紹介したいと思います。
美濃三人衆は織田信長に降伏した後、姉川の戦いに参戦し、織田・徳川連合軍の勝利に貢献。
その後美濃三人衆は徳川家の援軍として派遣され、三方ヶ原の戦いには参戦しませんでしたが後方の援護部隊として出陣します。
また美濃三人衆は足利義昭(あしかがよしあき)が織田信長に反乱を起こした際の戦にも参戦し、朝倉氏討伐戦、長嶋の一向一揆衆(いっこういっきしゅう)討伐戦、柴田勝家(しばたかついえ)を助けて北陸遠征、荒木村重の謀反を鎮圧する戦などの戦いで活躍します。
このように三人一緒に行動して活躍した美濃三人衆ですが、一人ひとり単独で活躍する事はあったのでしょうか。
殿戦で激戦を繰り広げた氏家卜全
美濃三人衆の一人氏家卜全は稲葉氏・安藤氏と一緒に姉川の戦いなどに参加して、功績を挙げて活躍。
その後氏家卜全は長嶋の一向一揆衆討伐戦に柴田勝家と一緒に参戦します。
氏家卜全は一向一揆衆討伐戦で一向一揆衆の砦で村々を放火して威圧した後、撤退していきます。
しかし一向一揆衆は織田軍が撤退する事を知ると織田軍の撤退する経路に伏兵をおいて、ゲリラ戦を展開。
織田軍は一向一揆衆の攻撃を受けて殿(軍勢が撤退する際、撤退する軍勢の最後尾を守る軍)を担当していた柴田勝家が負傷してしまいます。
氏家卜全は柴田勝家が負傷したため、柴田勝家に代わって殿を担当しますが、一向一揆衆の激しい攻撃を受け、討ち死にしてしまうのでした。
この時氏家軍に参加していた多くの武将が倒されてしまい、壊滅的なダメージを受けてしまったそうです。
氏家卜全が討ち死にした後、長男である氏家直通(うじいえなおみち)が跡を継いで美濃三人衆の一人として活躍していくのでした。
織田信長に追放された安藤守就
美濃三人衆の一人である安藤守就は織田信長に降伏後、美濃三人衆の一人として活躍していきます。
安藤守就は姉川の戦いや越前朝倉攻め、石山本願寺攻めなど各地の戦で功績を挙げていきます。
安藤守就は他にも柴田勝家に詩が立って加賀攻略戦・織田信長の息子・織田信忠(おだのぶただ)と共に播磨(はりま)jの神吉城(かんきしろ)攻略戦、荒木村重の城・有岡城の戦いなどに参加。
安藤守就はこのように各地の戦で功績を挙げていきますが、織田信長に疑われてしまいます。
そして天正八年、織田信長は織田家の重鎮・佐久間信盛(さくまのぶもり)の追放後、安藤守就を追放。
安藤守就が追放された理由は武田信玄が西上作戦を開始した際、武田家に寝返ろうとしていた事が理由とされています。
安藤守就は織田信長に追放された後、本能寺の変の混乱に乗じて独立しようと考えますが、稲葉一鉄の攻撃を受けて討ち死にしてしまうのでした。
織田信長に信頼された稲葉一鉄
美濃三人衆の人であり織田信長と相婿(姉妹の夫同士の関係の事)である稲葉一鉄。
稲葉一鉄は長男・稲葉良通が斎藤道三の娘を妻に迎え入れ、道三の娘が亡くなると織田信長の娘を奥さんに迎え入れている為、織田家の一門衆の一人でもあり、斎藤家・織田家の両家の重鎮でした。
そんな稲葉一鉄は美濃三人衆の一人として各地の戦いで活躍していきますが、単独で戦場に参戦する事も多い武将でした。
例えば稲葉一鉄は越前朝倉氏を倒す戦で、明智光秀、羽柴秀吉らとタッグを組んで加賀の一部を攻略する活躍をしています。
また稲葉一鉄は紀州雑賀攻めにも参戦し、柴田勝家と一緒に加賀平定戦でも活躍します。
織田信長は各地の戦で活躍する稲葉一鉄を信頼し、天正三年に京都から岐阜へ向かう途中、稲葉一鉄の城を訪れています。
稲葉一鉄は織田信長が自分の城を訪れてくれた事に感激し、孫たちに能を披露して織田信長をおもてなし。
織田信長も稲葉一鉄の孫たちのおもてなしを喜び、持っていた刀を孫たちへ与えるのでした。
稲葉一鉄は織田信長から信頼されていましたが、本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれてしまいます。
稲葉一鉄は織田信長の死後、羽柴秀吉に力を貸して、織田信孝(おだのぶたか)との争いや小牧長久手の戦いなどに参戦。
こうして生涯を戦に明け暮れた美濃三人衆の一人・稲葉一鉄は74歳で生涯に幕を下ろすのでした。
織田家の重臣たちと同等の扱いを受けた美濃三人衆
美濃三人衆は織田信長に仕えた後、上記で紹介したように各地の戦に参加して功績を挙げていき、織田家の中では重臣達と同じように重んじられていました。
その証左として織田信長と足利義昭が争った際、両家の重臣の名を連ねた誓書を交換。
この時織田家は佐久間信盛、柴田勝家ら重臣の名前が書き連ねてありましたが、この重臣たちに交じって美濃三人衆の名前も書き記されていました。
このことから織田家において美濃三人衆が重臣たちと同じぐらいの扱いを受けていたと思われます。
「麒麟がくる」に美濃三人衆は登場するのか
ここまで美濃三人衆について色々とご紹介してきましたが、果たして「麒麟がくる」に美濃三人衆は登場するのでしょうか。
ニャンコの結論は登場すると思います。
稲葉一鉄はすでに「麒麟がくる」に登場していますが、残り二人である安藤守就・氏家卜全も登場するの可能性が高いと思います。
その理由として安藤守就・氏家卜全は明智光秀と共に越前平定戦や荒木村重討伐戦などに参戦している為、登場するの可能性は極めて高いと思われます。
果たしてニャンコの予想はあっているのか。
8月30日から放映が開催される「麒麟がくる」の展開に乞うご期待ですね。
まとめにゃのまとめ
二回続けて登場のまとめニャです。
今回の記事も私がまとめさせていただくのでよろしくお願いします。
織田信長の美濃攻略戦で活躍した美濃三人衆とは誰を指すの!?「麒麟がくる」の主人公明智光秀と関係が深い三人をご紹介!!のまとめ
- 美濃三人衆は安藤守就・稲葉一鉄・氏家卜全の三人の事
- 美濃三人衆は織田家に仕えてから三人一緒に各地を転戦して活躍
- 美濃三人衆は単独でも軍事に参加して活躍している
- 美濃三人衆は「麒麟がくる」に登場する可能性が高い武将
以上になります。
このブログでは今回の記事の他にも
- 「麒麟がくる」稲葉一鉄ってどんな人!?徳川家康を助けた頑固者!!稲葉一鉄の逸話を交えて5分で紹介!!
- 「麒麟がくる」斎藤利三ってどんな人⁉斎藤道三と明智光秀に深い関係を持ち本能寺の変のきっかけを作った人⁉
などの記事もご紹介していますので、お時間のある時に是非ご覧ください。
それではまたお会いしましょう~
参考文献 吉川弘文館 織田信長家臣人名辞典など
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