ニャンコです。
現在私たちの元へ届く食べ物・本などの物は、陸路・海路・空路で運ばれていますが、戦国時代ではどのようにして食べ物や武具などを運んでいたのでしょうか。
今回は戦国時代の物流事情について、歴史に詳しくないニャンコが分かりやすくまとめてご紹介していきたいと思います。
戦国時代はどうやって物を運んでいたの
現在は新幹線やトラック・フェリー・飛行機など多くの輸送手段がありますが、戦国時代にはトラックもフェリーも飛行機も無く、大量に物を輸送する事が出来ませんでした。
大量に輸送する事が出来ない戦国時代ですが、食べ物や武具などをいったいどのようにして、必要な所へ運んでいたのでしょうか。
戦国時代の輸送方法は主に陸路と海路になります。
まず陸路での輸送方法についてご紹介したいと思います。
伝馬制をフル活用して輸送する戦国大名
戦国大名は陸路で食べ物や武具を必要な場所へ輸送する場合、どのようにして運んでいたのでしょうか。
それは伝馬を利用した方法です。
中国地方の大名である毛利家を例にしてご紹介したいと思います。
毛利家の当主・毛利輝元(もうりてるもと)はある日、石見銀山へ食べ物を輸送するように家来へ命令しますが、その際に一つ条件を付けます。
毛利輝元は家来へ「町中伝馬」の方法で運ぶように命令。
伝馬とは荷物や物資を運ぶ馬や人が集まっている宿町から宿町へ物を輸送する方法で、この方法を用いる事で円滑に現地まで物を運ぶ事が出来ます。
また武田家では食べ物を運ぶ事に特化した組織を作り上げて、輸送していました。
もちろん食べ物だけでなく、現地で必要な武具なども一緒に輸送していたと思われます。
また北条家では食べ物を現地で受け取った際、検品後に書状で「受け取りましたよ」とサインをして担当者に与えていたそうです。
このように各国の例を引き合いにして陸路の輸送方法をご紹介しましたが、海路で物を運ぶ場合どのようにして運んでいたのでしょうか。
強力な水軍を持っていた毛利家は船を地元の有力者から借りたり、従っている水軍の船を使用して現地へ食べ物や武具を大量に輸送していました。
しかし戦で食べ物が少なくなっているような城へ緊急に輸送しなくてはいけない場合、平和な時と同じように伝馬制を用いて物を輸送していたのでしょうか。
緊急時に物を運ぶためには情報が命!!
攻められている城へ食べ物を輸送する場合、どのような方法を用いて運んでいたのでしょうか。
この場合、城の近くにある村々から食べ物を運んでくれる人を募集してから輸送していました。
しかし食べ物を責められている城へ運び入れるのは敵から攻撃を受ける可能性が高く、食べ物を輸送する村の人々にとって命がけの仕事でした。
その為、村の人々を募集しても集まらない場合やバックレてしまうパターンが非常に多く苦労していたようです。
また敵に攻められて「食べ物を送ってくれ」と救援要請を送ってくる場合、周辺の地形を丹念に調べておかないと安全な輸送ルートを確保する事が出来ません。
その為、救援周辺の地理に詳しい現地の人を雇い入れて、周辺の地形調査をしてから、輸送していました。
このように緊急を所へ物を確実に運び入れる場合、搬送ルート・搬送先の地形・労働力の確保ができるかなどの情報をしっかりと得る事が重要とされていました。
編集ネコ・ボスのまとめ
ボス「今回は戦国時代の輸送方法についてご紹介してきたにゃ。
ここからは今回の記事のまとめをご紹介していくので、見てくれにゃ~。
【戦国時代】食べ物はどうやって運んでいたの⁉戦国時代の物流と合わせてご紹介
- 戦国時代は陸路と海路で食べ物や物を運んでいた
- 陸路で食べ物や物を運ぶ場合、伝馬制を用いて運ばれていた
- 海路で食べ物や物を運ぶ場合、船を使って大量に物を運んでいた
- 戦が起きている城へ食べ物や物を輸送する場合、周辺地域の地形や労働力の確保、搬送ルートなどの情報をしっかりと下調べした後、輸送する事が多い
以上だにゃ。
現在でも物流業界はとっても厳しい業界らしく、人で不足で悩まされているようだニャ。
戦国時代でも現代でも物流業界はとっても厳しい業界らしいにゃ~
いつも僕のネコ缶を届けてくれる物流業界の人に感謝しながら食べなくちゃいけないニャね~。
僕のブログでは今回のような記事の他にも
などの記事も紹介しているからぜひ見てくれにゃ。
それじゃ次回も僕のブログでお会いしましょう。
ばいばいにゃ~」
参考文献 戦国大名の兵糧事情 吉川弘文館など
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