ニャンコです。
毎日毎日自宅謹慎のような状況でつまらなくないですか。
そんな時こそ読書をしたり、自分の知識を高める時間に使うチャンスだと思いますので、今日もニャンコの記事を読んで戦国時代の知識を増やしていきましょう!!
今回は「麒麟がくる」の主人公・明智光秀や松永久秀ともかかわりの深い三好三人衆(みよしさんにんしゅう)についてご紹介したいと思います。
三好三人衆を一言で表すと「戦国時代らしい」です。
三好三人衆のどこが「戦国時代らしいのか」順を追って5分ほどで説明していきます。
この記事を読めば
- 「三好三人衆っていったい誰を指すのか。」
- 「明智光秀と松永久秀にとって三好三人衆がどのようにかかわってくるのか。」
- 「麒麟がくるに三好三人衆って登場するの!?」
三好三人衆は三人の重役で構成
三好家は大名である三好長慶(みよしながやす)の時代、三好宗渭(みよしそうい)・三好長逸(みよしながやす)・岩成友通(いわなりともみち)の武将が三好家を支えていました。
その後三好長慶が亡くなると若い三好義継(みよしよしつぐ)が跡を継ぎます。
しかし三好義継は若く三好家を支えていくのが難しかったため、三好義継の後継人として三好宗渭・三好長逸・岩成友通の三人が後見役として補佐。
彼ら三人が三好家を支えていたので、三好三人衆として呼ばれる事になります。
三好三人衆にはそれぞれ役割を持っていました。
一体どのような役割を三好宗渭・三好長逸・岩成友通は持っていたのでしょうか。
三好三人衆の役割とは
三好家は四国から京都周辺までを統治していた戦国大名で、広い領域を支配していました。
そのため三好家のトップだけでは治められませんでした。
そこで三好家のトップであった三好長慶は三人の武将に目を付けます。
三好家の家来であった岩成友通は三好長慶の奉行役として活躍し、各地の戦で功績を挙げていきます。
その後三好長慶に才能と功績が認められた岩成友通は三好家の家来の代表格として成長し、一軍を率いるようになり松永久秀と肩を並べるまでに出世します。
三好一族である三好長逸は一族をまとめる家老として三好家の中で権力を持っていました。
そして三好宗渭は三好の姓を持っていますが、三好家と敵対していた細川家の家来でした。
ですが、三好宗渭は細川家を見限って三好家に仕官。
三好宗渭は三好長慶の家来になると三好家の勢力拡大に貢献して功績を挙げていきます。
三好長慶は三好宗渭が細川家の家来であった事から細川家の家来達との連絡役や商業都市として栄えていた堺の豪商との調整役を命じます。
その後彼ら三人は着々と成長していき、三好家の代表格になり、三好家を引っ張っていくことになります。
三好三人衆の役割をまとめると下記になります。
- 岩成友通は家来達をまとめる
- 三好長逸は三好一族をまとめる
- 三好宗渭は堺・細川家臣団のパイプ役
三好宗渭・三好長逸・岩成友通はこのように役割を分担し、三好義継の後見役として補佐していました。
三好三人衆と明智光秀との関係性
「麒麟がくる」の主人公である明智光秀と三好三人衆はどのような関係性があるのかご紹介したいと思います。
三好三人衆は「麒麟がくる」の主人公である明智光秀と仲良くしていた足利義輝を攻撃して殺害してしまいます。
更に三好三人衆は明智光秀の君主である足利義昭が将軍として復活すると、足利義昭が宿泊していた本圀寺(ほんこくじ)を攻撃。
この本圀寺の戦いでは明智光秀が奮戦して三好三人衆の攻撃を防いで活躍した戦いですので、「麒麟がくる」の戦闘シーンとして放映される可能性が高いと思われます。
このように三好三人衆と明智光秀は深い関係性を持っていました。
三好三人衆と松永久秀との関係性
三好三人衆は明智光秀だけでなく松永久秀とも深い関係性を持っていました。
三好三人衆は同じ三好家の家来である松永久秀と協力して足利義輝を殺害。
その後三好三人衆は松永久秀と仲違し、何度も激しく争いを繰り返しております。
この結果、三好家は混乱状態になってしまい畿内での統治力を失っていくことになります。
このように三好三人衆は明智光秀と同様に松永久秀とも深い関係を持っていました。
まとめと三好三人衆の逸話
三好三人衆のまとめはこちら↓
- 三好三人衆はそれぞれ役割を持っていた。
- 三好三人衆は三好宗渭・三好長逸・岩成友通の三人
- 「麒麟がくる」の主人公・明智光秀と松永久秀らと関係が深い
以上の三点です。
ここでは最後に三好三人衆の一人である三好宗渭の逸話を最後にご紹介したいと思います。
三好宗渭には色々な伝説が残っており、その一つとして大坂夏の陣に参加した三好青海が三好宗渭だったのではないかとの説が残っております。
また三好宗渭は俗説ですが真田十勇士の一人である三好青海入道のモデルになった人物だったのです。
このことを考えれば三好宗渭は織田・豊臣・徳川の戦国時代を代表する三英傑とも関係を持った人物だったのです。
信じるか信じないかは読者次第です。
ボス「今日もニャンコの記事を見てくれてありがとうニャ。
次回は三好三人衆を一人一人ご紹介していくつもりニャ。
次回もお楽しみしていてくれにゃ~」
参考文献 「三好長慶」ミネルバ書房など
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