戦国最強として有名な武田信玄と上杉謙信。
この二人は一体どちらが強いのでしょうか。
今回は管理人ネコ・ボスの独断と偏見で二人の強さを紹介したいと思います。
この記事では「武田信玄と上杉謙信どっちが強いのか」や「有名な川中島での戦いからふたりの強さの比較」、「他国の大名から見たふたりの強さ」などが分かる記事になっています。
5分でわかりやすく解説するので、カップラーメンや電車の待ち時間などのスキマ時間を使って読んでいただければ幸いです。
それではどちらが強いのか比べてみましょう。
武田信玄・上杉謙信共に優れた大名であった
ここまで武田信玄と上杉謙信の戦における比較や他国の大名からの比較などを行ってきました。
では結局どちらが強いのでしょうか。
管理ネコ・ボスの独断と偏見で結論をまとめてみたいと思います。
戦術面で言えば上杉謙信の方が強いと思います。
しかし戦略面で言えば武田信玄の方が強いと思います。
納得できない部分もあるかもしれませんが、ご勘弁ください。
管理ネコ・ボスの一言
5分でわかりやすく解説するので、カップラーメンや電車の待ち時間などのスキマ時間を使って読んでいただければ幸いです。
それではどちらが強いのか比べてみましょう。
武田信玄と上杉謙信の強さを生涯の戦歴から比較!!
武田信玄と上杉謙信の強さを比較する上で大事になってくるのは、生涯の戦歴での勝利数ではないでしょうか。
そこでここではまず武田信玄と上杉謙信の生涯の戦歴から比較していきたいと思います。
武田信玄が亡くなるまでの戦で勝利した数は
武田信玄は亡くなるまでの間にどれほどの戦に参加して、勝利をしたのでしょうか。
武田信玄は生涯で「72回」も戦に参加。
そして武田信玄が戦に買った回数は「49回」です。
次に武田信玄が負けた回数ですがたったの「3回」。
武田信玄が戦った戦の残り20戦は引き分けだったそうです。
これらを総合すると武田信玄が戦国時代トップクラスの強さを持った人物だったことがうかがえます。
上杉謙信が亡くなるまでに勝利した回数は
次に上杉謙信の生涯戦歴について紹介してきたいと思います。
上杉謙信の詳細な生涯戦歴は残念ながら残っていません。
しかし上杉謙信は「70回」ほど戦い、大きな戦では一度も負けた事が無いと史料に残っています。
そのため上杉謙信は小さな戦での敗北経験はあるかもしれませんが、大きな戦でほとんど負けていない戦国大名でした。
生涯戦歴ではどちらが強いのかわからない
武田信玄と上杉謙信の生涯戦歴や勝利数などを比較しました。
しかし上杉謙信の戦歴と勝利数を詳細にする事が出来なかった為、どちらが強いのかはっきりしませんでした。
武田信玄と上杉謙信のどちらが強いのかはっきりさせる為、二人が直接ぶつかった戦いの勝敗について見てみたいと思います。
「川中島の戦い」から比較!!
武田信玄と上杉謙信が戦った「第四次川中島の戦い」の勝敗から比較してみたいと思います。
「川中島の戦い」は何度も行われていますが、どうして「第四次川中島の戦い」をピックアップしてニャンコは取り上げたのでしょうか。
それは武田信玄と上杉謙信が激しく戦ったのが「第四次川中島の戦い」だからです。
武田信玄と上杉謙信が戦った「第四次川中島の戦い」をピックアップして比較を行っていきますが、どの点に着目してふたりの強さを比較していくのか。
下にまとめておきましたのでご覧ください。
- 武田軍と上杉軍の損害
- 武将の討たれた人数
この二つをメインにして武田信玄と上杉謙信の強さを比較してきたいと思います。
「第四次川中島の戦い」における武田信玄の損害は?
武田信玄は「第四次川中島の戦いで」どの程度損害を受けたのでしょうか。
武田信玄は「第四時川中島の戦い」で4000人ほどの死者を出していました。
また武田信玄は多くの武将を打ち取られています。
武田信玄の弟・武田信繁や勇将と言われた両角虎定(もろずみとらさだ)などです。
ほかにも多くの武将が打ち取られ、多くの損害を受けてしまうのでした。
「第四次川中島の戦い」における上杉謙信の損害は?
「第四次川中島の戦い」で上杉謙信はどの程度の損害を受けたのでしょうか。
上杉謙信は「第四次川中島の戦い」で4000人ほどの兵を失っています。
また上杉謙信は「第四次川中島の戦い」の後、川中島や北信濃(きたしなの)のほとんどを失ってしまいます。
ですが上杉謙信は一人も武将を失うことなく、戦いを引き上げることに成功しています。
「第四次川中島の戦い」まとめ
武田信玄と上杉謙信の「第四次川中島の戦い」における比較のまとめをしていきましょう。
武田軍の損害まとめ
- 武田軍は4000人の損害
- 何人も武将が討ち死に
上杉軍の損害まとめ
- 上杉軍4000人の被害
- 土地を失う
上記が武田軍と上杉軍の損害まとめになります。
以前説明した上杉謙信と武田信玄の強さの比較の着目点である。
上杉謙信と武田信玄が戦った「川中島の戦い」を比較すると武田軍の方が兵士の損害数や討ち取られた武将の数の面で、多くの損害を出しています。
- 武田軍と上杉軍の損害
- 武将の討たれた人数
この2つから2人の強さを比較していきたいと思います。
戦闘の面で考えるならば武田軍の大敗です。
しかしこの戦いを別な角度から見てみると違った結果が見えてきます。
「川中島の戦い」は武田家と上杉家が川中島と北信濃の土地を取り合った戦いです。
(正確にはちょこっと違いますが、要約すると上記のようになると思います)
そして川中島と北信濃の土地がどちらの物になったのかの視点からこの戦いを見ると、武田軍の勝利と言えます。
なぜならば武田軍が上杉家から土地を奪って、占領することに成功したからです。
そのため土地を奪ったという観点からこの戦いを見るのであれば、武田軍の勝利になります。
そして「川中島の戦い」の勝利者についてですが、戦術面で見るのであれば上杉謙信の大勝利です。
しかし戦略面で見るのであれば、武田軍の大勝利と言えます。
と言うことは「川中島の戦い」も武田家と上杉家は引き分けに終わったと考えるのが妥当なところではないでしょうか。
他国の大名から見た武田信玄と上杉謙信の評価
次に武田信玄と上杉謙信を他国の大名はどのように見ていたのか。
各国の大名からの見た二人のイメージを調査してみたいと思います。
武田信玄が上杉謙信を評価
幾度も上杉謙信と戦いあった武田信玄。
武田信玄は上杉謙信をどのように評価していたのでしょうか。
ここでは武田信玄から見た上杉謙信の評価をご紹介。
武田信玄は息子である武田勝頼へ「私が亡くなった後は上杉謙信を頼れ」と語っています。
この事から武田信玄は敵ながら上杉謙信に信頼を寄せていたことがわかります。
また武田家の領内にあるお寺が「武田信玄が寺に来た時、上杉謙信は日本無双の名将だなと話しに来ていたよ」と上杉家のお寺へ手紙を出しています。
これらの事から武田信玄は上杉謙信の強さを高く評価していた事が分かります。
「海道一の弓取り」今川義元から見た武田信玄
武田信玄を他国の大名はどのように評価していたのでしょうか。
「海道一の弓取り」と言われた今川義元は武田信玄を「信頼できる人物」であると評価。
その理由は今川義元が内乱でボロボロになり、北条家に自分の領地を犯されている状況でした。
今川義元は自分の領土を北条家から奪い返したいと考えている時、武田信玄が快く力を合わせてくれたため、彼に信頼を持つようになります。
このことから今川義元はある一定の信頼感を武田信玄に持っていたと考えられます。
武田信玄・上杉謙信共に優れた大名であった
武田信玄は織田信長からも恐れられ「武田軍は天下一の部隊である」と言われていたそうです。
これらの大名からの評価からすると武田信玄・上杉謙信共に優れた大名であったことが、うかがえます。
武田信玄と上杉謙信結局どっちが強い!?
では結局どちらが強いのでしょうか。
管理ネコ・ボスの独断と偏見で結論をまとめてみたいと思います。
戦術面で言えば上杉謙信の方が強いと思います。
しかし戦略面で言えば武田信玄の方が強いと思います。
納得できない部分もあるかもしれませんが、ご勘弁ください。
管理ネコ・ボスの一言
ボス「今回は武田信玄と上杉謙信の強さを比べてみたにゃ。
結局のところどちらも強いかったようだけど、私はご飯をくれるご主人様が一番強いと思うにゃ。
それじゃまたにゃ~」
参考文献 新人物文庫 武田信玄謎解き散歩など
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