ニャンコです。
今回は英雄と言われた戦国時代の大名たちの二代目には優れた人物がいたのかリサーチしてみようと思います。
ここで紹介する戦国時代の英雄と呼ばれた人物の二代目は織田信長の後継・織田信忠(おだのぶただ)。
徳川幕府を作った徳川家康の長男・松平信康(まつだいらのぶやす)
戦国時代最強の騎馬隊を率いて戦った武田信玄の長男・武田義信(たけだよしのぶ)の三人を比較してみたいと思います。
彼ら三人の中で一番優れていた武将はいったい誰なのでしょうか。
今回三人を比較する点としましては
- 戦場での活躍
- 統率力
上記二つに着目して歴史に詳しくないニャンコが素人目線で三人を比較していきたいと思います。
織田信忠・松平信康・武田義信の中で誰が一番戦場で活躍をしたの⁉
織田信忠・松平信康・武田義信の三人の中で、誰が一番戦場で活躍したのでしょうか。
結論から言いますと織田信忠が一番戦場で活躍した人物だったともいます。
本当に織田信忠が松平信康や武田義信よりも戦場で一番活躍した人物だったのでしょうか。
ここからは三人の戦場での活躍を見ていきたいと思います。
織田信忠はいくつもの戦場で大活躍
織田信長の長男である織田信忠はいくつもの戦場で活躍した人物でした。
織田信忠の初めての戦は織田信長との同盟を破棄して敵対関係にあった浅井長政の領地へ攻め込んだ時でした。
織田信忠は初めての戦である浅井家との戦を浅井家が滅亡するまで担当する事になりますが、他にも伊勢(いせ)長島を占拠している一向一揆(いっこういっきしゅう)との戦いや武田信玄と境を接している美濃(みの)方面の戦いも担当する事になります。
織田信忠は美濃へ攻撃してきた武田信玄との戦いではあまり活躍することは出来ませんでした。
しかし織田信忠は一向一揆衆との戦いで遊撃隊として一揆衆達と戦い活躍しています。
他にも織田信忠は武田二十四将の一人である秋山信友(あきやまのぶとも)が占拠していた岩村城を落したり、松永久秀討伐戦では総大将として出陣し、松永久秀が籠城する信貴山城を包囲。
その後松永久秀は織田信忠軍に勝つ事が出来ないと考え、城ごと爆破して亡くなってしまいます。
この他にも織田信忠は雑賀衆との戦いや武田家を滅ぼす戦の総大将として出陣したりと多くの戦に参加して活躍。
そのため織田信忠は織田信長と比較されてダメな長男とのイメージが持たれている方も多いかと思います。
ですが織田信忠は上記でご紹介した戦での活躍でお分かりになるように、十分すぎるほどの実力を持った人物だったとニャンコは思うのですが、皆様はどのように思いますか。
武田家との戦いで活躍した勇猛果敢な武将・松平信康
松平信康は徳川家康の長男として誕生し、織田信長の娘と結婚した人物でした。
そんな松平信康ですが、戦場での活躍も多く、長篠の戦(ながしののたたかい)では徳川軍を率いて武田軍との戦いで活躍します。
他にも松平信康は武田勝頼が大軍を率いて徳川家の領地である遠江(とおとうみ)へやってきた時、戦で一番難しいとされる殿(しんがり)を担当し、武田軍の追撃を許しませんでした。
このように松平信康も戦場で活躍した人物ですが、織田信長の命令を受けた徳川家康の手によって殺害されてしまうのでした。
織田信忠・松平信康は戦場で活躍した人物でしたが、武田義信は彼らのように戦場で活躍した人物だったのでしょうか。
武田信玄の長男・武田義信は戦場で活躍したの⁉
武田信玄の長男として生まれた武田義信。
武田義信は織田信忠や松平信康のように戦場で活躍した人物だったのでしょうか。
もちろん武田義信も戦場で活躍した人物でした。
例えば武田義信が初めての戦に出陣した際、落武者を300人も討ち取ります。
更に武田義信は父・武田信玄と上杉謙信が激闘を繰り広げた川中島の戦いに参加し、武田信玄本陣へ突撃した上杉謙信軍が休憩している時を見計らって、自ら兵士を率いて突撃して撃退する活躍を見せています。
このように武田義信も戦場において活躍した武将でした。
織田信忠・松平信康・武田義信の戦場での活躍まとめ
上記で織田信忠・松平元康・武田義信三人の戦場での活躍をご紹介しました。
ここでは三人それぞれの戦場での活躍をまとめていきたいと思います。
織田信忠
- 武田家・一向一揆衆・雑賀衆(さいかしゅう)・松永久秀・荒木村重など謀反人達の討伐戦など多くの戦で活躍
松平信康
- 武田家との戦で活躍
武田義信
- 上杉謙信との戦で活躍
以上になります。
この三人の武将の戦場でのまとめから見てみると、織田信長の長男である織田信忠がずば抜けて戦場で活躍しています。
そのため織田信忠が松平信康・武田義信よりも戦場で優れた活躍をした人物だったのではないでしょうか。
織田信忠・松平信康・武田義信の中で一番統率力に秀でた武将は誰⁉
次に織田信忠・松平信康・武田義信の中で一番統率力に秀でた人物はいったい誰なのでしょうか。
この点についても一番秀でていたのは織田信忠だと思います。
織田信忠は織田信長に反乱を起こした松永久秀討伐戦では明智光秀たちを率いて戦っております。
また織田信忠は本願寺討伐戦では佐久間信盛(さくまのぶもり)や弟たちを率いて出陣していますし、武田家討伐戦でも滝川一益(たきがわかずます)などの諸将を統率しています。
そして織田信忠は織田家の名将と呼ばれる武将達をしっかりと統率して、戦場で活躍してい
ます。
もちろん松平信康・武田義信もそれぞれ部下を率いて戦っておりますので、統率力がないというわけではありません。
しかし織田信忠のような武将達を統率して大きな戦で何度も活躍するような功績を挙げておりません。
そのため織田信忠が松平信康や武田義信よりも、統率力の点でも優れていた武将だったのかなと思いますが、皆様はどのように思いますか。
編集長・ボスのまとめ
ボス「今回は織田信忠・松平信康・武田義信の三人を比較してみましたが、この記事のまとめはこのようになっているにゃ。
- 織田信忠・松平信康・武田義信三人の中で優れた武将は織田信忠
- 織田信忠が優れている面は戦場での活躍と統率力の面でも秀でた名将
- 松平信康・武田義信もそれなりに優れた武将であった
以上になります。
松平信康・武田義信は父親との対立によって亡くなってしまいますが、もし父親と仲良くやっていれば織田信忠のように活躍する事が出来たのかにゃ。
俺の予想だけど、殺害されずに長生きできたとしても難しかったのかと思うにゃ。
まず武田義信が父・武田信玄に殺されずに生き残り、武田信玄死後に武田家の当主として君臨した場合、領土をあんまり大きくする事が出来なかったと思うにゃ。
その理由は武田義信が全軍の総大将として戦を進めたことが無かったためにゃ。
武田義信と同じ理由で松平信康も小さな戦で活躍する事はあっても、自分が差配する戦ではあまり活躍でなきなかったと思うにゃ。
もちろん編集長であるボスの予想なので、断言できにゃいけど、皆様はどのように思うにゃ。
またこのブログでは今回紹介した記事以外にも
- 「麒麟がくる」なぜ丹羽長秀は織田家の家老であったのに織田信長を殺害した明智光秀を倒さなかったの!?
- 「麒麟がくる」浅井長政と朝倉軍はなぜ姉川の戦いで勝てなかったのか!?「歴史の素人・ニャンコ考察」
- 「麒麟がくる」武田信玄は果たして登場するのか!?戦国最強と言われた「甲斐の虎」も確実に登場する!?
などの記事もご紹介しておりますので、もしお時間がありましたら見てほしいにゃ。
それじゃまたニャ~」
参考文献 織田信長家臣人名辞典 吉川弘文館など
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