ニャンコです。
今回は「麒麟がくる」に登場した徳川家康のお母さん・於大の方についてご紹介していきたいともいます。
於大の方を一言でまとめると「徳川家康を支え続けた」人ですが、「どのようにして徳川家康を支え続けたのか」。
この点を交えながら於大の方をご紹介していきたいと思います。
松平家へ嫁ぐ
於大の方は尾張(おわり)の水野家の娘として誕生。
於大の方の父・水野忠政は松平家の領地である三河(みかわ)とも国境を接していました。
そのため水野忠政は織田家・松平家の二大強国の狭間でどのようにして生き残るべきかを考えた結果、於大の方を松平家へ嫁がせて松平家と婚姻関係を結び、水野家の生き残りを図ります。
於大の方は父の命令に従って松平家へと嫁ぐのでした。
徳川家康の長生きを祈念する於大の方
於大の方は松平家の当主・松平広忠(まつだいらひろただ)へ嫁ぎ、男の子を出産。
この男の子こそ先週「麒麟がくる」に登場した徳川家康です。
戦国時代は衛生環境が悪く、子供が長生きする可能性が低い時代でした。
そのため於大の方は疾病の治癒や衣食の充実にご利益がある薬師如来像をお寺に寄進し、我が子・徳川家康の長生きをお祈りします。
この結果徳川家康は大きな病気にかかる事無く、すくすくと成長していきますが、於大の方にとって大事件が発生します。
離婚させられる於大の方
松平広忠は今川義元に属してた為、於大の方の実家・水野家も間接的に今川家に属していました。
しかし水野家は今川家と手を切って織田家と結びつきを強くする方向へとシフト。
松平広忠は水野家が織田家に近付いた為、今川家から変な疑いをかけられる事を心配し、於大の方と離婚してしまいます。
そのため於大の方は可愛い我が子である徳川家康とも離ればなれになってしまうのでした。
再婚しても徳川家康と連絡を取り続ける
於大の方は実家・水野氏の元に帰ります。
その後於大の方はしばらくの間、一人で生活していましたが久松家へ嫁ぐことになります。
於大の方は久松家で三男三女をもうけ、夫婦仲も良く仲良く過ごしていましたが、徳川家康の事を片時も忘れませんでした。
そのため於大の方は久松家に嫁いでからも徳川家康に手紙やお土産を送って、彼のことを常に心配していた優しいお母さんでした。
桶狭間の戦いが於大の方の人生が大変化
於大の方は平和に久松家で子供を育てつつ、徳川家康とも連絡を取り合う生活を過ごしていました。
於大の方が久松家に嫁いでから13年経過したある日、成長した徳川家康から「母上。今川義元様から先鋒を任され、これから戦場へと向かう事になりました。」と手紙が来ます。
於大の方は徳川家康の手紙を読み「そうですか。体に気を付けながら、しっかりと戦で活躍してきなさい。母も応援していますよ」と返信。
徳川家康は於大の方から手紙を読んでから、今川軍の先鋒として出陣します。
徳川家康は尾張の大高城を守っている鵜殿氏(うどのし)の元へ食料を補充し、大高城近辺にある織田家の砦を落す功績を挙げます。
戦場で活躍した青年武将・徳川家康の元に大事件が勃発。
それは今川義元の本陣へ織田信長が率いる少数の軍が奇襲攻撃を仕掛けて、今川義元を倒してしまったとの知らせでした。
徳川家康は今川義元が倒された知らせを聞いて、その場でぶっ倒れるほどの衝撃を受けますが、何とか全軍を率いて故郷・三河(みかわ)まで撤退。
その後徳川家康は三河・岡崎城(おかざきじょう)を取り戻して領地を拡大し、今川家から独立を果たすのでした。
徳川家康は今川家から独立した事をきっかけに、於大の方と彼女の息子や娘たちを迎えます。
こうして於大の方数十年の間、離れて暮らしていた可愛らしい息子・徳川家康と暮らすことになるのでした。
ニャンコのまとめ
今回は於大の方について色々とご紹介しましたが、この記事についてのまとめをしていきたいと思います。
- 実家に振り回される於大の方
- 於大の方は徳川家康をメンタル面で支え続けたお母さん
- 子供好き
以上になります。
桶狭間の戦いは今川義元・徳川家康・織田信長などに大きな影響を及ぼした戦いですが、徳川家康のお母さんにも多大な影響を与えた戦いでした。
来週「麒麟がくる」でも桶狭間の戦いが放映されますが、桶狭間の戦いの後にどのような影響があったのかを知っておくと、次週以降の「麒麟がくる」を楽しく見る事が出来るのではないでしょうか。
このブログではこの記事以外にも
- 「麒麟がくる・越前編」新章について色々と考察してみた!!
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