「麒麟がくる」桶狭間の戦いは奇跡!?織田信長のラッキーで勝てた桶狭間の戦いについてご紹介!!

2020年6月4日木曜日

織田家 麒麟がくる

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桶狭んわ。

四季の中で夏が嫌いなニャンコです。

そういえば桶狭間の戦いも6月頃に起きた戦いですが、戦場に居た人たちも甲冑を着て、めちゃくちゃ暑い中、汗だくになって戦っていた事を考えると大変だったなと思ってしまう今日この頃です。

前振りが長かったですが、今回紹介するのは「麒麟がくる」で放映される桶狭間の戦いについてです。

この戦いは織田信長が奇襲攻撃を仕掛けて、今川義元を討ち取った戦いなのはみなさんご存知かと思います。

ですが、この戦いは織田信長にとってギャンブル要素の強い、奇跡的な勝利でした。

本当に織田信長が運に全てをかけて桶狭間へ出陣したのか。

この記事では
  • 織田信長にとって桶狭間の戦いのどの点がギャンブル要素だったのか
  • 本当に今川義元は何の備えていなかったのか?
この二つを交えながら「桶狭間の戦い」について、歴史の素人であるニャンコが分かりやすくまとめてみましたので、ご覧ください。

桶狭間の戦いはどうして起きたのか

まずは桶狭間の戦いがどうして起きたのかについてご紹介したいと思います。

桶狭間の戦いは「今川義元が京都に旗を立てる為に軍勢を出陣した」と言われておりますが、実はこの説近年の研究によりますと間違えなんじゃないかと言われているそうです。

では今川義元はどうして大軍を出陣させたのか。

その理由は今川義元が尾張(おわり)近辺にいくつか領地を持っていましたが、この領土をしっかりと確保したかった事や尾張と境界を接している三河を安定させたかった事などがきっかけとなって出陣したと言われています。

しかしこれらの目標を達成することなく、今川義元は尾張近辺の桶狭間で討ち取られてしまうのでした。

織田信長にとって桶狭間の戦いは運が良かったから勝てた!?

織田信長はち密な計算を立てて今川義元へ奇襲攻撃をかけたわけではなく、たまたま運が良く今川義元を討ち取っただけだったのです。

なぜそのようにニャンコは言い切る事が出来るのか。

この点についてご紹介していきたいと思います。

織田信長は今川義元の本陣へ正面から堂々と攻撃していた!?

織田信長は桶狭間の戦いで今川義元を奇襲した際、回り道して今川義元の本陣を攻撃したと言われていました。

しかしこの説ですが、信頼性に欠けていると昨今の研究では言われているそうです。

では織田信長はどのようにして今川義元の本陣へ攻撃をしたのか。

史料として信頼がおける「信長公記」によれば、「今川義元の本陣へ正面から攻撃をした」と記載されています。

でも今川本陣が織田軍の攻撃を真正面から受けたら、普通に考えて織田信長敗けるんじゃないと思っている方も多くいると思います。

ニャンコもおんなじ意見ですが、織田信長は今川義元を桶狭間で討ち取っています。

では今川義元本陣に油断があったのか。

この点についてご紹介したいと思います。

油断しないでがっちり本陣を守っていた今川軍

真正面から織田信長は今川義元本陣へ攻撃したと「信長公記」に記述されていますが、実はこの説も微妙に誤りがあるのではないかと言われています。

その理由としては徳川家の家来であった大久保彦左衛門(おおくぼひこざえもん)が書いた「三河物語」によれば、今川義元は織田軍が出撃した事を確認し、しっかりと本陣の守備を固めていたと記載されています。

そのため今川義元は油断して織田信長に奇襲攻撃を受けたわけではなく、がっちりと本陣を固めていました。

そのため今川義元は織田信長の奇襲攻撃を受けたとしても、逆に倒す事が出来る万全の布陣をしていた可能性の方が高いと思われます。

一切油断なく防御を固めていた今川義元本陣。

では一体どうやって織田信長は今川義元を討つ事が出来たのでしょうか。

運が悪すぎた今川義元

今川義元は万全に本陣を固め、織田軍の攻撃を跳ね返すことが可能な状態でしたが、真正面から織田信長の奇襲攻撃を受けて倒されてしまいます。

この理由についてニャンコが調べてみましたのでご紹介してきたいと思います。

今川義元は桶狭間の戦いにおいてとっても運が悪い人でした。

運の悪いポイントその1はいきなり大雨が降ってきた事です。

視界が見えなくなるほどの大雨が降ってきたため、織田信長率いる織田軍を察知する事が遅れ、軍勢が大混乱してしまいます。

更に運が悪かったのは今川義元ががっちりと陣形を固めていたにもかかわらず、陣形が混乱してしまうと本陣が逃亡しに行く地形に陣取っていた事です。

そのため今川義元は油断をしていたわけではなく、タイミング的に悪い部分が一挙に発生してしまった為、織田軍に反撃を加える事が出来ず、倒されてしまうのでした。

このため織田信長にとって桶狭間の戦いはたまたま運よく今川義元を討ち取れた戦いだったのです。

まとめにゃんのまとめ

今回の記事はいかがでしたか。

ここからはこの記事のまとめになりますのでご覧ください。
  • 桶狭間の戦いで織田信長が勝てた要素1:大雨が降った事
  • 桶狭間の戦いに織田信長が勝てた要素2:今川軍が大混乱した事
  • 桶狭間の戦いに織田信長が勝てた要素3:今川軍が立て直す事が出来ない場所に陣取っていた事
  • 織田信長は上記の理由が重なって桶狭間の戦いにたまたま勝てた
  • 桶狭間の戦い以降織田信長は同じ戦い方を二度としなかった
以上になります。

織田信長は神仏にすがらないリアリストでしたが、この桶狭間の戦いの時だけは今川軍に勝つことが難しいと分かっていた為、熱田神宮(あつたじんぐう)で神頼みをしています。

このことからも分かるように織田信長にとって桶狭間の戦いはまさに奇跡的に勝利できたことがうかがえますね。

ご主人の記事はこれ以外にも

参考文献 Wikipedia・桶狭間戦記など

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