「麒麟がくる」浅井長政と朝倉軍はなぜ姉川の戦いで勝てなかったのか!?「歴史の素人・ニャンコ考察」

2020年5月28日木曜日

浅井家 麒麟がくる

t f B! P L
こんばんわ。

以前購入したペンタブで自分(ニャンコ)のイラストを黙々と描いているニャンコです。

自分の画力の無さと色塗りの大変さが身に染みる今日この頃です。

今回は人ではなく「麒麟がくる」に登場するであろう戦場について、ご紹介していきたいと思います。

今回紹介するのは浅井長政と朝倉義景VS織田信長と徳川家康が戦った姉川の戦いについてです。

この戦いは織田信長と徳川家康が勝利するのですが、なぜ浅井長政と朝倉義景が敗北したのか。
  • 両軍の兵力差
  • 浅井長政と朝倉義景の有利な点
  • 敗北要因
上記三つをピックアップした後、どうすれば浅井長政と朝倉義景が織田・徳川軍に勝利する事が出来たのかについて、歴史に詳しくないニャンコが素人目線でご紹介していきたいと思います。

浅井・朝倉の兵力はどれくらいだったのか⁉

そもそもですが、どうして浅井長政と朝倉義景は姉川で織田信長・徳川家康と戦うことになったのでしょうか。

この点についてザックリご紹介してきたいと思います。

姉川の戦いは二つの要因から起き戦いです。

一つ目は浅井家の領地である横山城(よこやまじょう)が織田信長と徳川家康の軍に包囲されたため、この城を助ける為です。

二つ目は織田軍が浅井長政を城から引っ張り出すために領地を放火したり、略奪したりと暴れまくっていた織田軍を撃退する事。

この二つの大きな要因により姉川の戦いが勃発します。

浅井家は兵力が少ないので、単体では助けに行く事ができませんでしたが、朝倉家が援軍に加わった事で織田信長・徳川家康に決戦へ向かうことになります。

姉川の戦い開始時の浅井・朝倉の兵力は約13000人ほどでした。

では織田・徳川の同盟軍はどれほどの兵力を持っていたのでしょうか。

織田・徳川の兵力はどれくらいだったの⁉

浅井・朝倉は13000人ほどで決戦へ赴きましたが、織田・徳川はどれほどの兵力で姉川の戦いに出陣したのでしょうか。

資料によってまちまち(浅井・朝倉の軍勢も同様)なのですが、織田軍約2万+徳川軍5千ほどの兵力で戦いに臨んだとされています。

その後、通説によれば織田信長・徳川家康の連合軍は姉川の地で軍勢を縦に展開して戦いに臨んでいくことになります。

しかし姉川の地には2万程の織田軍が展開するような広さを持った場所ではなかったようなのです。

姉川から織田信長が本陣を構えた場所まで経った810mほどしかなく、織田軍2万の兵力が縦に陣形を構築した場合、陣形と陣形の間はたった115mほどしか間隔がありませんでした。

更に織田軍は三間槍(5.4m程の長い槍)を武器に使っていましたので、10人並んだ場合54m間隔を開けなくてはなりません。

戦国時代は陣形と陣形の間は約100m程間隔をあけて、戦っていたそうです。

もしこの戦国時代の戦いの型に則れば、上記の間隔ではごちゃごちゃの状態で、織田家自慢の鉄砲も放つ事ができず、槍を構える事もできません。

このことを考慮すると織田軍は姉川から縦の陣形を築いて敵を待ち受けていたとは、とても思えません。

では織田・徳川連合軍はどのようにして兵士を展開し、姉川の地で浅井長政と朝倉軍を相手に戦ったのでしょうか。

浅井長政と朝倉軍が織田信長・徳川家康連合軍を奇襲した⁉

織田・徳川連合軍は上記で姉川に兵力を展開する広さが無かったとお伝えしました。

ではどのようにして織田・徳川連合軍は兵を展開したのでしょうか。

それは姉川の地に陣形を築いたのではなく、横山城を包囲したままの状態で適を迎え撃ったのではないでしょうか。

その理由として、織田信長の事を詳細に記した一次資料「信長公記」によれば「一度撤退した浅井・朝倉軍が早朝に織田軍へ攻撃を仕掛けてきた」と記しているからです。

浅井長政と朝倉軍が撤退したと信じた織田信長は攻撃途中であった横山城を陥落させるため、横山城を攻撃する陣形に組み直したのではないでしょうか。

織田信長は横山城を攻撃する陣形を整えていた為、「信長公記」では上記の記載の後に「織田信長の親衛隊が必死になって戦った」との記述が残っております。

このことから浅井長政と朝倉軍は一度撤退したように見せかけた後、横山城の包囲陣形を取っている織田信長の軍勢に対して奇襲攻撃を行ったと思われます。

浅井・朝倉軍の有利な点は

浅井長政と朝倉連合軍は織田信長・徳川連合軍よりも少ない兵力しかいませんでした。

しかし浅井長政と朝倉連合軍は有利な点が二つありました。

一つ目は以前お話しましたが、浅井長政と朝倉連合軍が織田信長・徳川家康の連合軍へ奇襲攻撃した事です。

浅井長政と朝倉両家の連合軍は織田信長・徳川家康の連合軍の態勢が整っていない状況で攻撃している為、有利に戦いを進めていく事が出来ます。

二つ目は横山城の存在です。

浅井長政と朝倉家の連合軍と織田信長・徳川家康軍が本格的な戦いを行っている最中、背後もしくは横から横山城に籠っている軍が攻撃を行えば、織田信長・徳川家康軍を挟み撃ちにする事ができます。

例え横山城の軍勢が城から打って出て攻撃しなくても、織田信長・徳川家康軍は常に横山城に注意を払わなければならない為、全力で浅井長政と朝倉の連合軍に攻撃する事が出来ない状況でした。

そのため浅井長政と朝倉連合軍は兵力が織田信長・徳川家康軍よりも兵力が少なくても、かなり有利な状況で戦を始める事ができたと思われます。

でも浅井長政と朝倉連合軍は織田信長・徳川家康連合軍に敗北してしまいました。

なんで浅井長政と朝倉連合軍は負けてしまったのでしょうか。

浅井長政と朝倉軍が負けた理由は⁉

浅井長政と朝倉家は攻撃方法と地理的な面で織田信長と徳川家康軍よりも有利でしたが、敗北してしまいます。

なぜ浅井長政と朝倉連合軍は敗北してしまったのでしょうか。

それは同盟軍の強さに原因がありました。

織田信長の同盟相手である徳川軍の兵士は三河出身の武士たちで構成されていました。

三河武士はとっても強かったそうです。

反対に朝倉家の兵士達の強さは三河武士たちに比べるとちょっと弱い兵士達でした。

そのため朝倉家と徳川家が姉川の戦いでぶつかり合った際、徳川軍の三河武士が必死になって戦い、朝倉軍を退却させてしまいます。

このことが姉川の戦いで浅井長政と朝倉連合軍が敗北してしまった原因の一つに挙げられます。

この原因に加えて朝倉家は徳川軍に比べてモチベーション点でも負けていました。

徳川家は徳川家康が自分で軍勢を率いて姉川の戦いに参加。

ですが、朝倉家は朝倉義景が自ら出陣しないで家来に任せてしまいます。

このため朝倉家は徳川家のようにモチベーションの点でも差がついておりました。

上記で説明した主な要因である「武士同士の強さ・モチベーションの高さ」に加え、他にも様々な敗北原因が重なって浅井長政と朝倉家の連合軍は姉川の戦いで敗北してしまうのでした。

どうすれば浅井長政と朝倉連合軍が姉川の戦いで勝てたの??

ではどうすれば浅井長政と朝倉連合軍は織田信長・徳川連合軍に勝つ事ができたのでしょうか。

この点について考えてみましたので、ご覧ください。

織田信長と徳川家康の連合軍に勝つ方法その1:朝倉義景が出陣する

姉川の戦いで織田信長と徳川家康の連合軍に浅井長政と朝倉家の連合軍が勝利するために必要な事はまず朝倉義景が出陣する事です。

仕事でもそうですけど、偉い人が自ら率先して仕事に意欲を燃やして、優しく接したり、親身になって教えてあげれば、部下達も一生懸命仕事をします。

これは戦国時代も同じです。

部下達のモチベーションアップに必要なのはやっぱり大将自ら戦場に出て、戦の指揮を執ることが重要だと思います。

そのため、朝倉義景自ら軍勢を率いて姉川の戦いに参加して、部下に声をかけてモチベーションアップにつなげるようなリーダーシップを取れば、朝倉家の武将や兵士達のモチベーションも上がり、戦場でもいい影響を与えたと思います。

何はともあれ、朝倉義景の出陣は織田信長と徳川家康の連合軍に勝利するために、必須な条件だと言えます。

織田信長と徳川家康の連合軍に勝つ方法その2:戦う敵を変える

浅井長政は戦術眼に優れておりました。

そのため浅井長政は姉川の戦いでも敵の連合軍の主力である織田信長を殺害してしまえば、勝ちだと見極めて、織田軍へ奇襲攻撃をかけます。

この時浅井軍が織田軍を攻撃して、戦いを繰り広げていきます。

しかし着眼点を変えれば、姉川の戦いも勝つ事ができたかもしれません。

着眼点を変えると言うのは対戦相手を変えてみようという事です。

浅井軍が織田軍と戦って勝てなかったのなら、織田軍へ攻撃するのではなく、徳川軍へ攻撃すればいいんじゃないでしょうか。

浅井軍が徳川軍を打ち破ってしまえば、朝倉軍と協力して織田軍をボコボコにするだけです。

ですが、この作戦には必須条件があります。

それは浅井長政軍が徳川軍を倒すまで、朝倉義景が撤退することなく、戦いを継続させていなくてはならない事です。

もし朝倉義景が織田軍の攻撃に耐えられなくて、逃げてしまえば姉川の戦いは敗北に終わってしまいます。

果たして朝倉義景はこの作戦に変更した場合、戦場で織田軍相手に粘る事が出来るのか。

この点にこの作戦はかかっていると言っても過言ではありません。

織田信長と徳川家康連合軍に勝つ方法その3:最後はやっぱり運の良さ

織田信長と徳川家康連合軍に勝つ方法その3はやっぱり運の良さが左右すると思います。

どんなに完ぺきな作戦を立てて戦に臨んでも運が悪ければ、負けてしまう事があります。

その日の天候であったり、戦が始まった時に予想外の所から全軍が崩れ始めてしまったり、と数え上げればきりがありません。

そのため、運の良い大将であることが戦に勝つ事の必須条件かもしれませんね。

ニャンコのまとめと新キャラ「ニャンコ」

今回はボスでもなくニャンコが初めてまとめをしていきたいと思います。

まだまだ完成途中のニャンコですが今回の記事のまとめはこのようになっております。
  • 姉川の戦いは城を救うためと織田信長を撃退するために行われた戦い
  • 姉川の戦いは浅井長政と朝倉軍の奇襲作戦だった
  • 姉川の戦いに敗北したのは兵の強さとモチベーションの低さ
  • 姉川の戦いで織田信長と徳川家康連合軍に勝つ方法その1:朝倉義景が出陣する事
  • 姉川の戦いで織田信長と徳川家康連合軍に勝つ方法その2:戦う相手を変える
  • 姉川の戦いで織田信長と徳川家康連合軍に勝つ方法その3:運の良さ
以上になります。

このニャンコのイラストですが、こないだ板タブを初めて買って、はじめてお絵描きしたニャンコイラストです。

めちゃくちゃ下手で申し訳ないですが、これからはいっぱいイラストを描いて画力を上げて、色々なニャンコたちを戦国武将化して、このブログに乗せていきたいと思いますので、お待ちください。

それでは次回もまたこのブログでお会いしましょう。

またニャ~

参考文献 講談社「センゴク」など

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