「麒麟がくる」明智光秀の五家老とはいったい誰!?5分で明智家の重役5人を紹介

2020年3月31日火曜日

麒麟がくる

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「麒麟がくる」の主人公・明智光秀には最も信頼する五人の家来がいました。

斎藤利三(さいとうしみつ)・明智左馬助秀満(あけちさまのすけひでみつ)・明智光忠(あけちみつただ)、溝尾茂朝(みぞおしげとも)・藤田行政(ふじたゆきまさ)の五人です。

「麒麟がくる」でも明智左馬助や藤田行政らはスタッフが決まっており、今後のどのように活躍していくのか注目を集めています。

さてこの明智光秀に信頼されていた五人は明智光秀が本能寺の変を起こす前、最初に織田信長に反乱を起こすことを相談されたそうです。

今回は「麒麟がくる」でも今後関わってくるであろう
  • 「明智家の五人の重役について知りたい方」
  • 「明智光秀の家来たちを深く知りたい」
などの興味を持っている方へ向けたまとめ記事になります。

5分ほどでご紹介していきますので、ご覧ください。

明智家筆頭家老・美濃斎藤一族に名を連ねる斎藤利三



明智光秀の筆頭家老の一人として活躍した斎藤利三(さいとうとしみつ)。

彼はどのような人物だったのでしょうか。

斎藤利三は美濃(みの)を治めていた斎藤道三の一族とは異なる家系の美濃斎藤一族に名を連ねる人物です。

斎藤利三は斎藤道三の息子である斎藤義龍(さいとうよしたつ)に仕えますが、彼とそりが合わず、美濃の豪族である稲葉一鉄(いなばいってつ)に仕えます。

しかし斎藤利三は稲葉一鉄と大喧嘩をしてしまった為、稲葉家から離れて明智光秀に仕えることになります。

斎藤利三は明智光秀の家来になってからは光秀と一緒に戦に参加して手柄を挙げていき、丹波(たんば)攻略戦が完了した事には丹波黒井城を与えられています。

斎藤利三は明智光秀と共に織田信長が止まっている本能寺攻撃や二条城の攻撃に参加し、功績を挙げています。

その後羽柴秀吉と明智光秀が激闘を行った山崎の戦いにも参加。

この戦いで斎藤利三は明智軍の先鋒になって羽柴軍と激しい戦いを繰り広げていきますが、兵数の多い羽柴軍を倒すことができずに敗北してしまいます。

斎藤利三は山崎の戦いに敗北した後、逃亡しますが、羽柴軍に捕まってしまい討ち取られてしまいます。

斎藤利三は「麒麟がくる」ではまだ登場していませんが、明智光秀と密接な関係を持った家来なので、必ず登場すると思います。

いったい誰が斎藤利三を担当することになるのか。

今後の情報に期待が高まるのではないでしょうか。



明智家の筆頭家老・武勇に優れた明智左馬助秀満


明智光秀の筆頭家老は二人います。

一人は斎藤利三です。

もう一人はここで紹介する明智左馬助秀満です。

彼は元々明智の苗字ではなく三宅(みやけ)の苗字を名乗っていました。

どうして秀満は三宅氏から明智へ苗字を変更したのか。

それは明智光秀の娘と結婚することになるからです。

三宅左馬助秀満は明智光秀の娘と結婚した事がきっかけとなって、明智の苗字を名乗ることになります。

明智左馬助秀満は軍事の才能だけではなく、統治能力にも優れ、丹波福知山(ふくちやま)の内政に関わって功績を挙げていきます。

その後明智左馬助秀満は斎藤利三と共に戦法になって本能寺襲撃作戦に参加。

明智左馬之助秀満は北方からやってくる織田軍からの攻撃に備えるため、安土城の守備を任されることになります。

しかし明智光秀が山崎の戦いで敗北した事を知り、安土城を放棄して明智光秀の本拠地である坂本城へ帰還。

この時明智左馬助秀満は坂本城へ向かう際、馬で湖を渡るとんでもない一芸を披露しています。

明智左馬助は坂本城に帰ると、貴重な美術品などを堀久太郎(ほりきゅうたろう)へ送りつけた後、自害して果てるのでした。

丹波の国の行政を担った・明智光忠


明智光秀は織田信長の軍団司令官として丹波攻略を担当することになります。

明智光秀は数年間かけて丹波攻略を完了することになりますが、この時明智光秀の家老の一人である明智光忠が活躍します。

彼は明智光秀が丹波攻略戦へ出陣した際、亀山城を預かることになります。

明智光忠は明智光秀が居なくなった後の亀山城をしっかりと統治して、乱れさせることなく見事に治めます。

その後明智光忠は本能寺攻撃には参加しないで、織田信長の嫡男である織田信忠が籠城している二条城攻撃に参加。

この戦いで明智光忠は鉄砲の攻撃を受けて重傷を負ってしまいます。

そのため山崎の戦いには参加しないで療養していました。

ですが、明智光忠は明智光秀が山崎の戦いに敗北した事を知ると、坂本城へ向かい、明智左馬助と一緒に自害して果てます。

少し地味な活躍ですが、このような地味な仕事を見事にこなす人物が居るから、明智光秀も各地の戦いで活躍できたのではないでしょうか。


統治能力は明智家中で一番・溝尾茂朝


大河ドラマ「麒麟がくる」ではまだキャストが発表されていない人物ですが、明智家の家老として活躍した溝尾茂朝。

織田信長は朝倉家を滅亡させた後、朝倉家の領土である越前(えちぜん)を明智光秀・木下藤吉郎・滝川一益(たきがわかずます)の三人に統治させます。

その後彼ら三人は戦場に赴かなくてはならない為、木下家・滝川家・明智家がそれぞれ家来を常駐させて、越前の統治をさせます。

明智光秀は自分の代わりに越前を統治する人物として溝尾茂朝を配置。

溝尾茂朝は明智光秀の代わりに越前の統治に尽力しますが、一向一揆衆が織田家に反旗を翻してたため、京都へ戻ることになります。

その後溝尾茂朝は明智光秀と共に丹波攻略戦に参加して活躍。

また溝尾茂朝は織田家に長年協力してくれた徳川家康の接待係りの一員として、明智光秀と心を込めて応接します。

このように溝尾茂朝は行政能力に優れているだけでなく、戦でも活躍した人で、明智光秀にも信頼を寄せられていました。

その後も溝尾茂朝は本能寺の変や山崎の戦い参加。

山崎の戦いでは溝尾茂朝は羽柴軍と激しく戦いますが、勝つことができずに明智光秀を連れて撤退します。

溝尾茂朝は明智光秀を連れて本拠地・坂本城へ撤退していくのですが、途中で落武者刈りの攻撃を受けてしまい、明智光秀が負傷。

明智光秀は傷が深く自らの敷を悟ったため、溝尾茂朝に介錯をお願いします。

溝尾茂朝は光秀のお願いを拒否していましたが、度重なる明智光秀のお願いを聞き入れて、明智光秀を殺害した後、自らの命を絶ってしまいます。

明智光秀と最後まで一緒であった忠義の士・溝尾茂朝でした。

各地を転戦して活躍した藤田行政


「麒麟がくる」では徳重聡が演じている藤田行政(ふじたゆきまさ)。

藤田行政は「麒麟がくる」のキャスト紹介によれば、武勇に優れた人物と紹介されています。

藤田行政は史実でも武勇に優れた人物であるらしく、織田信長を討ち取った本能寺攻撃では4000人の軍勢を率いて参加。

更に山崎の戦いでは戦闘中に大けがをするもそのまま軍勢を指揮して戦います。

しかし明智軍が総崩れを起こして退却を開始。

藤田行政も勝竜寺城(しょうりゅうじじょう)まで退却をしますが、この地で自害して亡くなったそうです。

藤田行政は麒麟がくるでも史実のように武勇に優れた武将として描かれるのか。

今からどのように描かれていくのか楽しみですね。

管理ネコ・ボスの一言


ボス「今回は明智光秀の家中の中心人物となる家来五人を紹介したニャ。

彼らは明智家という組織を運営するために優れた才能を持っており、主人明智光秀とは密接な関係を築くことになった人達にゃ。

麒麟がくるでは彼らが全員登場するのか。

全員登場するのであれば、どのように描かれるのか。

史料もあまりない人物たちが多いので、彼らをどのようにして描いていくのかが「麒麟がくる」の見せ場の一つだと思うにゃ。」

参考文献 谷口克広「信長家臣人名辞典」吉川弘分館など

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