戦国時代最強の騎馬隊を率いて、織田信長を恐れさせた武田信玄。
武田信玄には弟が何人かいてその内のひとりは絵を得意とする人がいました。
他にも武田信玄の弟には信玄とは全然違う特徴的な部分を持った人がいっぱいしました。
この記事では
- 武田信玄の弟たちの特徴的な部分を知りたい
- 武田信玄の弟って何人に他の
- 武田信玄の弟にも戦に強い人物が居たの
では早速ご紹介していきたいと思います。
信玄の弟・武田信繁は戦に秀でた教養人だった!?
武田信繁(Wikipediaから引用) |
武田信玄の弟の中でも特に優れて、一番有名なのは武田信繁(たけだのぶしげ)だと思います。
武田信繁は武田信玄の弟として各地の戦で活躍し、信玄の片腕として活躍しましたが、川中島の戦いで信玄を守るために討ち死にしてしまいます。
真田昌幸は武田信繁の武勇にあやかって次男の源次郎に信繁の名前を与えています。
このように武田家において武勇に優れた存在であった武田信繁ですが、教養人としても知られていました。
武田信繁は甲斐に公家がやってきた時歌会が開かれ、信繁もこの歌会に参加して、和歌を詠んだそうです。
このように武田信繁は文武共に秀でた武田信玄の弟でした。
武田信繁は武田信玄の弟として各地の戦で活躍し、信玄の片腕として活躍しましたが、川中島の戦いで信玄を守るために討ち死にしてしまいます。
真田昌幸は武田信繁の武勇にあやかって次男の源次郎に信繁の名前を与えています。
このように武田家において武勇に優れた存在であった武田信繁ですが、教養人としても知られていました。
武田信繁は甲斐に公家がやってきた時歌会が開かれ、信繁もこの歌会に参加して、和歌を詠んだそうです。
このように武田信繁は文武共に秀でた武田信玄の弟でした。
絵を書く事に秀でた武田信玄の弟・武田信廉
武田信廉(Wikipediaから引用) |
武田信玄の弟には武勇に優れている人が多いですが、教養に優れた人物も数多くいました。
その一人に挙げられるのが武田信廉(たけだのぶかど)です。
彼は武田信繁が川中島の戦いで亡くなると信玄の親族衆の筆頭になります。
しかし武田信廉は戦場に出て武功を残した武将ではなく、本陣の守りや後方支援を主な担当として活躍していました。
そんな武田信廉ですが、絵を書く事に秀でた人物で、自分の父や母の肖像画を描いたそうです。
元服前に亡くなった信玄の弟・戌千代
武田信繁の弟は武田信廉ではなくもう一人いました。
武田信虎(たけだのぶとら)の三男にあたる武田戌千代(たけだいぬちよ)という人物です。
この戌千代は7歳という早さで亡くなってしまいました。
僧侶になった信玄の弟・松尾信是と武田宗智
武田信玄の弟・松尾信是(まつおのぶこれ)。
彼は武田信虎の叔父が松尾家であり、叔父が亡くなった時に嫡男がいなかったので松尾家に養子に入り、松尾の姓を名乗ることになります。
信是はその後、恵林寺(えりんじ)に入ってお坊さんになります。
彼の息子である武田宗智(たけだそうち)も恵林寺でお坊さんになって過ごすことになります。
武田二十四将に名を連ねた一条信龍
長篠の戦い(Wikipediaから引用) |
武田信玄の弟・一条信龍(いちじょうのぶたつ)。
彼は鎌倉時代から続く甲斐(かい)の名門・一条家の名前を受け継ぐことになり、武田家の姓から一条の姓に変更になります。
一条信龍は外交で活躍し、下克上の代名詞の一人・松永久秀(まつながひさひで)や織田信長を苦しめた本願寺との折衝に努めます。
一条信龍は外交だけでなく、戦においても活躍。
長篠の戦いでは武田勝頼を逃がすために馬場信春(ばばのぶはる)と共に殿を引き受けて、勝頼が安全地帯へ逃げるために奮戦しています。
このように一条信龍は外交と戦で活躍し、武田二十四将の一人に名を連ねた人物でした。
今川・武田信玄・勝頼にも仕えた武田信友
武田信虎が武田信玄に追放された後に生まれた子供・武田信友(たけだのぶとも)。
彼は父・信虎が駿河(するが)の今川家に逃れてから生まれた子供で、今川義元(いまがわよしもと)・今川氏真(いまがわうじざね)の親子に仕えます。
武田信友は今川氏が滅亡すると、兄である武田信玄に仕えます。
武田信友は今川家が滅亡した後、今川家の家来達を武田家仕えさせることに貢献したり、長篠の戦いで活躍します。
しかし武田信友は長篠の戦いが終わった後隠居。
その後武田信友は織田軍が武田家を滅亡させた時、捕虜になって処罰されてしまうのでした。
織田・徳川別働隊と奮戦した川窪信実
武田信玄・武田勝頼に仕えた川窪信実(かわくぼのぶざね)
彼は甲斐にある川窪村を領土としていたことから、武田姓ではなく川窪姓を名乗ることになります。
川窪信実は武田信玄の頃よりも武田勝頼の時代に活躍します。
川窪信実は武田勝頼と共に織田・徳川連合軍と決戦を行った長篠の戦いに出陣。
彼はこの時勝頼や他の家来たちと一緒に織田・徳川軍と戦ったのではなく、長篠城を監視するために作られた砦に配置されていました。
この砦に織田・徳川連合軍の別働隊は長篠の戦いが始まる前に攻撃をしてきます。
川窪信実は長篠城を監視するための砦の中心部となる鳶ノ巣山砦に篭城し、織田・徳川連合軍を迎え撃ちます。
しかし川窪信実は織田・徳川連合軍の圧倒的な兵数の前に奮戦するも、兵数の多さに圧倒されて、討ち取られてしまうのでした。
管理人ネコ・ボスの一言
ボス「今回は武田信玄の弟達について紹介したにゃ。
武田信玄の弟である武田信繁一番有名だけど、信繁の他の弟たちもかなり活躍している人物が多かったにゃ。
そして一番驚いたのはほとんどの弟たちが戦上手であり、意外と兄・武田信玄から想像できないような面白いスキルを持っている人がいてびっくりだったにゃ。」
参考文献 新人物文庫 武田信玄謎解き散歩など
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