前回は司馬遼太郎の「覇王の家」の上巻の本の特徴と感想を紹介しました。
「覇王の家」上巻では徳川家康の前半生を知ることができたり、彼の性格を知ることができました。
まだ「覇王の家」の上巻の感想見ていない方はこちらをご覧ください。
覇王の家はどんな小説!?5分でわかりやすく本の特徴と感想を紹介!!【上巻】
では「覇王の家」下巻はどのような物語が展開されていくのでしょうか。
今回は「覇王の家」の下巻のあらすじと感想について5分で紹介していきたいと思います。
五国の大名へ
「覇王の家」の下巻は豊臣秀吉は謀反人である明智光秀を討伐した頃から始まります。
徳川家康は本能寺で信長が殺害された時、京都近辺にいましたが命からがら伊賀(いが)を超えて、本国三河(みかわ)へ帰還。
その後徳川家康は織田信長の仇である明智光秀を討つのではなく、空白地帯になっていた甲斐(かい)、信濃(しなの)を占領するべく出陣します。
しかし北条家当主・北条氏政も家康と同じことを考え、甲斐・信濃へ向かって兵を向かわせます。
徳川家康は甲斐、信濃で北条軍と対決することになります。
徳川・北条の両者は本格的な戦いをする前に和解。
和解内容は徳川家が甲斐・信濃を領地とし、北条家は上野(こうずけ)を領地とすることで決着がつきます。
こうして徳川家康は三河・遠江(とうとおみ)、駿河(するが)、甲斐・信濃の五つの地方を手に入れて五国の大名として大勢力を築くことに成功するのでした。
織田家と同盟
徳川家康が五国の大名として急成長していた頃、豊臣秀吉は織田家の筆頭家老として活躍していた柴田勝家(しばたかついえ)と賤ヶ岳(しずがたけのたたかい)で勝利して柴田勝家を滅ぼします。
そして羽柴秀吉は織田信長の三男・織田信孝(おだのぶたか)を信長の次男である織田信雄(おだのぶかつ)に殺害させ、織田家を相続した自らの地位をがっちりと固めていきます。
豊臣秀吉は旧織田家の諸将を次々に取り込み、織田信長の孫である三法師(さんぽうし)を擁立して、織田家が持っていた領土を相続することに成功。
徳川家康は豊臣秀吉が大勢力になっていく状況に危機感を感じます。
そして徳川家康は自分の領土へいずれ豊臣秀吉が攻撃してくる可能性を考え、一人の人物と会談。
その人物は織田信長の次男・織田信雄でした。
徳川家康は織田信雄に丁寧な心配りをしながら接待し、織田信雄との同盟を約束。
その後織田信雄は豊臣秀吉が織田信雄を殺害しようとしている噂が流れると、徳川家康を頼って豊臣秀吉に対して挙兵します。
豊臣秀吉は織田・徳川連合軍が敵対した事を知ると彼らを倒すため、出陣の準備を行います。
まねっこ徳川家康
「覇王の家」の徳川家康は独創性を徹底的に嫌う性格でした。その理由は自分で作り上げたのは前例がないので、失敗しやすいからです。
そのため徳川家康は豊臣秀吉との戦いには過去の外交戦略を真似っこして行います。
徳川家康が真似っこした外交政策は足利義昭(あしかがよしあき)が織田信長を倒すために行った織田信長包囲網をまねる事です。
徳川家康はまず豊臣家と敵対している四国の長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)・紀州(きしゅう)の雑賀衆(さいがしゅう)・北陸の佐々成政(さっさなりまさ)らと連携して、豊臣家と敵対。
更に徳川家康は背後から攻撃を受けないようにするため、関東の覇者・北条家との同盟を緊密にします。
こうして打てるだけの手を打った徳川家康は織田信長津と一緒に尾張(おわり)へ向けて出陣していくのでした。
豊臣秀吉の外交
徳川家康は豊臣秀吉に敵対している勢力に対して外交対策を行い、緊密な関係を築いていきます。
その頃豊臣秀吉は何もしなかったのでしょうか。
豊臣秀吉は何もしなかったわけではなく、しっかりと織田・徳川連合軍に対して、調略を行っていました。
まず豊臣秀吉は織田軍を指揮する四人の家老の内、三人を自分の味方につけます。
その後豊臣秀吉は織田家最後の家老へ「織田家の三家老は自分の味方になったから」と前置きし、三家老が味方になった証拠として、三家老の豊臣家へ味方する誓約のサインが書かれた書状を見せてから、「あなたも私の味方になるように」と誘いますが失敗。
しかし豊臣秀吉は失敗に終わることを見越していました。
豊臣秀吉に誘われた四人目の家老は織田信雄へこのことを報告。
すると織田信雄は豊臣秀吉に内通していた三家老を殺害します。
この結果、織田軍は軍勢を指揮できる指揮官を失うことになり、戦力として大幅に低下していしまうのでした。
このように豊臣秀吉は織田家に調略を行い、徳川家康との対決へ向かうのでした。
岡崎城へ強襲作戦を決行
徳川家康と織田信雄連合軍VS豊臣秀吉の軍勢はほとんど戦闘を行わないまま、膠着状態が続いていきます。
そんな中、豊臣家の家来になっていた池田恒興(いけだつねおき)は徳川家の本拠地にである岡崎城へ奇襲攻撃を行えば、徳川軍が総崩れになるのではないかと考え、豊臣秀吉へ提案。
豊臣秀吉は現在の膠着状態のまま、徳川家と結んだ勢力を倒し、徳川家を外交的に孤立させて圧迫。
その後豊臣軍は織田・徳川連合軍へ大規模な戦をしかけて、勝利することで決着をつけたいと考えていました。
しかし豊臣秀吉は何度も池田恒興や森長可(もしながよし)らの提案を受けて、何度も注意事項を確認してから、しょうがなく岡崎城攻撃を許可します。
豊臣秀吉に大勝利
徳川家康は豊臣軍が岡崎城を攻略するために出陣した事を知って、豊臣軍を迎え撃つため出陣します。
徳川家康は豊臣軍が岩崎城(いわいわさきじょう)へ攻撃している事と豊臣軍の本体である羽柴秀次(はしばひでつぐ)が白山林で休息している情報を得ます。
徳川家康は情報を仕入れるとすぐに羽柴軍へ攻撃を開始。
羽柴秀次の軍は徳川家康の攻撃を受けて敗北して撤退していきます。
また池田恒興、森長可は徳川軍の攻撃を受けて討ち取られてしまいます。
こうして豊臣軍は大敗北することになり、岡崎城奇襲作戦は失敗に終わるのでした。
この戦いや小牧山争奪戦、他の関連し戦いを総括して歴史上では「小牧長久手の戦い」と呼ばれる戦いになります。
徳川・織田連合軍は豊臣家に勝利するも決定的な勝利と言えず、豊臣軍と戦う前の状態に戻り、本格的な戦をすることなく、小競り合いが継続していく状態に戻ります。
その後織田信雄は豊臣秀吉と単独で和解。
徳川家康は織田信雄が豊臣秀吉と単独で仲直りしてしまった為、豊臣家と戦う大義を失い、領地へ帰っていきますが、豊臣家と仲直りをしたわけではありませんでした。
豊臣家と和解して豊臣政権へ参加
徳川家と豊臣家は小牧長久手の戦い以後も外交的には冷戦のような状況が継続していきます。
豊臣秀吉は何とかして徳川家康を自分の政権へ参加させようと考え、あの手この手を使います。
しかし徳川家康は豊臣家の政権に参加しようとしませんでした。
そのため豊臣秀吉は自分の妹である朝日姫を正室が居ない、徳川家康の元へ嫁がせます。
徳川家康は朝日姫が嫁いできてもうれしくなかったようで、豊臣秀吉にお礼を言いに行こうとしないで、手紙一枚を送っただけでした。
豊臣秀吉は徳川家康を何とかして自分の政権へ取り込むため、自分の母親を徳川家康の元へ派遣。
徳川家康は豊臣秀吉の母親がやってくると仕方なく、豊臣秀吉がいる大阪城へ向かいます。
こうして徳川家康は豊臣秀吉の政権に参加することになります。
主人公・徳川家康以外も知る事が出来る歴史小説
歴史小説は大体主人公に起きた出来事を中心に物語が展開していきます。
しかし「覇王の家」は主人公である徳川家康以外にも戦場で活躍した武将をピックアップして紹介。
例えば安藤直次(あんどうなおつぐ)です。
安藤直次は小牧長久手の戦いで池田恒興から家督を譲られていた池田家当主・池田元助(いけだもとすけ)を討ち取って手柄を上げますが、どのような過程で池田元助を討ち取ったのか。
この部分に安藤直次の特徴を示すエピソードを挟みつつ、三河武士がどのような人だったのかを知る事が出来ます。
他にもゲームに登場して有名になった徳川四天王として名高い・本多忠勝も小牧長久手の戦いで活躍。
本多忠勝はこれまでの戦いでどのような戦いをして活躍をしていたのか。そして小牧長久手の戦いでどのような功績を残したなども紹介されているので、徳川家康だけでなく色々な武将についても詳しく知ることができます。
なぜ「覇王の家」は時代をすっ飛ばして徳川家康の天下統一で終えたのか
どうして「覇王の家」はあっけなくクライマックスを迎えたのか。
関ヶ原の戦いや大阪夏・冬の陣など徳川家康の見どころ満載の戦いはまだまだあるにもかかわらずです。
その理由をにゃんこが考えてみました。
この「覇王の家」は司馬遼太郎曰く「徳川家康について詳細に記載することを目的としたわけではない」からです。
では何を目的として徳川家康を主人公にしてこの小説を描いたのか。
「覇王の家」に描かれているあとがきの一部を抜粋して紹介したいと思います。
「徳川幕府と言う保守的性格を持ったのは徳川家康から出ているからで、この点に興味をもったから描いた」記しているので、関ヶ原の戦いなどは「覇王の家」の内容には蛇足と考えていたのかもしれませんね。
また関ヶ原の戦いなどを「覇王の家」で描かったのは、「覇王の家」が出版される前に描かれているので、「覇王の家」でこれらの戦いを詳細に書いてしますと重複することになるので、描かったのかなと思います。
これらはあくまで推測なので、断定することはできませんのでご了承ください。
管理ネコ・ボスの感想
ボス「今回は「覇王の家」の下巻を紹介したにゃ。
徳川幕府が鎖国や保守的な政権をしていたのかを探ることのできる本だったと思わなかったにゃ。
だから関ヶ原の戦いなどを描かないで一気に家康が亡くなるクライマックスにしたんだにゃね~。
ちょっと勉強になったにゃ。さて感想だけど、なかなか面白い小説であったと思うにゃ。
読みやすいし、読みごたえもばっちりだからにゃ。
この本を読んでから司馬遼太郎の関ヶ原や大坂冬の陣や夏の陣が描かれている城塞(じょうさい)を読んだらかなり面白いなって思ったにゃ。
気になった方は読んでみると面白いと思うにゃ~」
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