「麒麟がくる」今川義元は実はすごい大名だった!?今川義元のすごい逸話を5分で紹介!!

2020年3月9日月曜日

今川家 今川義元

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今川義元(Wikipediaから引用)

「海道一の弓取り(かいどういちのゆみとり)として知られる今川義元(いまがわよしもと)。

皆さんはどのようなイメージを持っていますか。

多分ゲームやライトノベルなどのイメージで、弱くて何をしたのかわからない大名や公家の真似して蹴鞠(けまり)が強くて、語尾におじゃると付けて言う印象が強いかと思います。

しかし今川義元は上記で説明したようなイメージではなく、戦国大名としてはかなりすごくて優秀な大名でした。

この記事では「麒麟がくる」にも登場している今川義元について
  • 実はすごい大名だったのか
  • 今川義元の真の力を知りたい
  • 今川義元のどこがすごいのか知りたい
などを歴史の素人であるニャンコが分かりやすくまとめた記事になります。

5分ほどで読み終わるようにまとめましたので是非ご覧ください。

今川義元は意外と武勇に優れている

今川義元(Wikipediaから引用)

皆様は今川義元が武勇に優れていた大名であったと思いますか。

多分ほとんどの人は今川義元が武勇に優れていた大名であったはずがないと答えると思います。

しかし今川義元は以外と武勇に優れていた大名でした。

その証左として今川義元の最後の戦である桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)。

この時今川義元は織田信長の奇襲攻撃を受けて、討ち取られてしまいます。

ですが、今川義元は何もしないで討ち取られたわけではありません。

今川義元は織田信長の家来である服部春安(はっとりはるやす)が攻撃をしてくると、自ら太刀を握って、攻撃してきた服部の膝へ一撃を与えて撃退。

その後今川義元は信長の家来である毛利良勝(もうりよしかつ)と組み合って、討ち取られてしまいますが、彼の指を食いちぎって亡くなったそうです。

このことから今川義元は桶狭間で織田信長の奇襲攻撃を受けて、亡くなったわけではなく、敵の武将と斬り合って亡くなっていることから、武勇の素養をそれなりに持った大名であったことがうかがえます。

教養に優れた文化人・今川義元


今川義元は武勇の素養を持った大名だったことを紹介しましたが、武勇の素養だけではなく、文化人としての素養も持った人物でした。

今川義元はある戦の時、偵察を家来に命じます。

今川義元に偵察の任務を与えられた家来はすでに戦いが始まっているため、敵陣偵察の任務を捨てて、戦闘に参加して武功を挙げて活躍。

その後この家来は今川義元の元に戻って武功を挙げたことを報告します。

すると今川義元は「お前には偵察の任務を与えたはずなのに、主君の任務を捨てるとは言語道断。」と激怒し、家来を処罰しようとします。

この家来は今川義元へ「刈萱(かるかや)に身にしむ色はなけれども、見捨て難き(がたき)、露の霜折れ」と歌を歌います。

この歌は鎌倉時代に活躍した歌人・藤原家隆(ふじわらいえたか)が作った歌です。

この歌を聞いた今川義元はこの家来の処罰をやめて、許してやります。

今川義元が鎌倉時代の歌人の歌を知っていることから、かなり優れた教養を持った人だったことがうかがえます。

また今川義元は家来にも歌を習わせて、教養面を鍛えていたことがわかる逸話です。

太原雪斎に鍛え上げられて、今川家の支配を強める


今川義元は幼少期仏門に入っていました。

今川義元は仏門に入って仏法を学んでいましたが、養育係としてやってきた太原雪斎(たいげんせっさい)に仏法以外の政治に関することや軍事に関することなどあらゆることを鍛えられることになります。

その結果今川義元は今川家の家督相続の内乱に勝利し、今川家の当主になることができました。

今川義元の軍事面での活躍もそうですが、太原雪斎などの家来達の助けや北条家の助けがあったことも家督を継ぐことができた要因の一つです。

ですが、今川義元が太原雪斎に鍛え上げられた事で、優れた君主に成長できたからこそ、家来達の助けを得ることができ、北条家からも援助される事ができたと思われます。

また今川義元は内政面でも力を発揮し、流通統制や商業の保護を行って領内の生産力増強をして、国内の力を向上させます。

また今川義元は寄親寄子(よりおやよりこ)制度を用いて家来達の結束力を高めることにも成功します。

このように今川義元は内政面でも優れた力を発揮して、今川家の国力増強に努めて、東海地方一番の大名になるのでした。


管理ネコ・ボスの一言



ボス「今回は戦国時代の大名の中でもあまり評価のよくない、今川義元について紹介したにゃ。

彼は評価の低い割には内政・軍事面において優れた力を発揮しているにゃ。

また今川・武田・北条の三国同盟を成立させることにも力を尽くしているにゃ。

このように今川義元は戦国時代おいてもかなり優れた大名だと思われ、桶狭間の戦いで敗北していなければ、戦国時代でも名君と呼ばれてもおかしくない実力を持った人物として、歴史に名前を刻んでいたかもしれなかったにゃ。

一度の負けで、ここまで評価がガラリと変わった大名も珍しいと思うにゃ。」

参考文献 東邦出版 大名旗本のシビれる逸話-名将・知将の頭脳とハート-

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