武田信玄(Wikipediaから引用) |
江戸幕府を開いた初代将軍・徳川家康。
徳川家康は隣の国の大名である武田信玄を尊敬していました。
今回は徳川家康から尊敬されていた武田信玄のエピソードを三つ、5分で紹介していきたいと思います。
お昼休みのちょっとした息抜きやカップラーメンが出来上がる時間などスキマ時間に読んでいただければ幸いです。
運命を無視!!
戦国時代多くの大名や武将、兵士などは占いや宗教などを信じていました。
そのため合戦を行う日などは悪い日を選ぶのではなく、吉日などを選ぶ事で将兵たちの不安を無くし、合戦した際の士気の低下にもつながります。
また気が悪い日よりも気のいい日を選んだほうが、合戦に負けにくいとされていました。
もちろん武田家の将兵達も例外ではありません。
武田信玄は気を見ることが得意だったらしく、合戦中に悪い気を感じてしまいます。
悪い気を感じたのであれば、合戦をやめて撤退したほうがいいのですが、武田信玄はあえて軍勢を撤退させずに守りを固め、敵の隙を突いて勝利を得ます。^
このように武田信玄は先負の日でも関係なく戦を継続させて、勝利を得ることを重視したリアリストの一面を持った大名でした。
大敗北しても将兵をねぎらう心を忘れない
武田信玄は生涯の戦で何度か大敗北を経験しています。
武田信玄が大敗北した戦いの一つである砥石城(といしじょう)での戦い。
武田信玄は7000の大軍を率いて砥石城を包囲。
砥石城を守っていたのはたった500人です。
近代兵器が投入されていない限り、城兵と城を攻める兵士たちがどのような戦いが展開したとしても普通に考えれば武田軍の大勝利で終わるはずでした。
しかし武田信玄は砥石城の将兵を救うため、果敢に突撃してきた村上義清(むらかみよしきよ)の軍勢2000人に敗北してしまいます。
村上義清は砥石城を包囲していた武田軍を退かせると、武田軍を追撃して大きな損害を出すことに成功します。
武田信玄は影武者などを使ってなんとか村上義清軍の追撃から逃れることに成功しますが、兵士や将合わせて1000人程を失ってしまう大敗北してしまいます。
武田信玄は疲れが残っていましたが、帰ってくるとすぐに能を舞って将兵達をねぎらい、三日三晩自ら踊り続けました。
このように武田信玄は戦で大敗北しても将兵の心をしっかりと配慮することを忘れない大名でした。
上司が部下をねぎらう心は現代でも通用しますので、是非お試しください。
上杉謙信との約束を守った信玄
武田信玄と上杉謙信が何度も戦った川中島の戦い。
この時に面白いエピソードが残っているので紹介したいと思います。
川中島の戦いは全部で5回に渡って行われた戦いですが、第五時川中島の戦いの時のことです。
武田信玄と上杉謙信は大軍を率いて川中島付近で対峙。
両軍は激しい戦闘を行わず、にらみ合いが続く状況でした。
この時武田信玄からなのか上杉謙信から申し込んだのか定かではありませんが、力士同士が一騎打ちして勝ったほうが川中島一帯を手に入れる約束をして、一騎打ちが始まります。
武田軍からは武田軍の中でもトップクラスの力自慢で大柄の安馬彦六。
上杉軍からは長谷川与左衛門と言う小柄の人物が出てきます。
こうしてふたりの力士は一騎打ちを開始。
この戦いの結末は小柄な上杉軍の力士が勝利を得ます。
武田軍は将兵みんなが納得できず、戦いの準備を始めて上杉軍に襲いかかろうとします。
しかし武田信玄は将兵達を呼び止めて「我が軍の力自慢である彦六が負けたのは間違えなく、約束を違えるのは武士の恥だ。川中島一帯は上杉謙信の物である」と上杉謙信との約束を違えるのは良くないと注意し、全軍撤退します。
こうして武田信玄は上杉謙信との約束を守って、川中島から撤退していくのでした。
武田信玄は謀略家で知られていますが、意外にも他人との約束をしっかりと守る律義者の一面もある大名でした。
約束を守るのは大事な事です。
約束を一度でも破ってしまうと信頼関係が失われてしまうので、皆様も約束を守るようにしましょう。
そうしないとごはんをボスにあげ忘れたニャンコのように引っかかれてしまいますよ。
管理ネコ・ボスの一言
ボス「今回は武田信玄のエピソードを紹介したにゃ。
戦国最強と言われるだけあって中々面白いエピソードがあったにゃ。
会社の上司や営業先の社長など歴史に詳しい人物がいっぱいいるから、よかったら明日から使ってみると話が盛り上がるかも知れないにゃ。
試しに使ってみるのもいいかもしれないにゃね。」
参考文献 日本の大名・旗本の痺れる逸話-名将と知将の頭脳とハート- 東邦出版など
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