突然ですが、皆さんはどのような歴史小説を読みますか。
私は基本的には作者もしくは自分が知っている時代の登場人物を主人公にした歴史小説を読みます。
例えば歴史小説の大家として知られる司馬遼太郎のほとんどの本を読了しました。
その中でも読み返して面白いなと思った「覇王の家(はおうのいえ)」上巻の特徴と感想を5分ほどで紹介したいと思います。
覇王の家の主人公は徳川家康
「覇王の家」。
タイトルからすると天下を統一した武将もしくは峻烈な処置をして、天下統一に近づいた武将だと思われる方が多いと思います。
中国史で言うならば楚漢戦争(そかんせんそう)で覇王・項籍(こうせき)に勝利した初代漢帝国を作り上げた劉邦(りゅうほう)。
もしくは生涯の行った戦で7割以上の勝率をおさめた天才兵法家・曹操(そうそう)などが挙げられると思います。
日本史ならば、旧世代の価値観をぶっ壊して新しい世の中を創設しようとした織田信長や織田家の領土を継いでライバルたちを次々と倒して戦国時代に終止符を打った太閤・豊臣秀吉などではないでしょうか。
しかし「覇王の家」は上記で挙げた強い武将や覇王のような激しいさから一番遠い戦国大名である徳川家康が主人公です。
では「覇王の家」の主人公である徳川家康はどのような人物として描かれているのか。ご紹介していきたいと思います。
徹底的な保身主義者徳川家康の対応その1「今川家に対する対応」
「覇王の家」の主人公徳川家康はどのように描かれているのでしょうか。
それは徹底的な保身主義者として描かれている事です(上巻)。
例えば徳川家康は今川義元の元で幼少期から青年期を過ごすことになり、東海地方の歴史を一変させた桶狭間の戦いにも今川軍の一武将として参加。
徳川家康は織田家の砦を攻略したり、兵糧が不足している砦へ兵糧を輸送したりと活躍します。
家康が奮戦して頑張っている頃、今川義元は織田信長の奇襲攻撃によって討ち取られてしまいます。
今川軍は君主が討ち取られてしまった為、全軍が駿河(するが)へ向けて撤退。
徳川家康は今川義元が討ち取られている事を知っても、焦って撤退することなくゆっくりと戦場から離れていきます。
徳川家が代々治めていた岡崎城(おかざきじょう)は今川家の家来達が城主として君臨し、岡崎城周辺を治めていました。
しかし今川義元が討ち取られてしまった為、岡崎城に居た今川家の家来達はびくびくしながら今後の方針を決めるために会議をしていました。
そんな時、徳川家康は戦場から戻ってきます。
徳川家康の家来達は家康へ「今川義元は討ち取られました。岡崎城に残っている今川家の家来たちを追い出して、城を取り戻しましょう」と提案。
すると家康は「今川義元様がホントは討ち取られていないのかもしれない。また息子である今川氏真(いまがわうじざね)は評判の悪い君主であるが、果たして本当であろうか。
もし氏真公が名君の素質を持った人物であれば、我らが城を奪ったことに激怒して、やられてしまうかもしれない。もう少し様子を見よう」と言って中々城を奪う決断をしませんでした。
そんな中、岡崎城の今川家の家来達は城を捨てて逃亡。
徳川家康は今川家の家来が居なくなってからようやく岡崎城へ入城し、この地を治めることになるのです。
徹底した保身主義者である徳川家康の対応その2「織田信長に対する対応」
他にも徳川家康は織田信長と同盟していましたが、信長を怒らせない事だけに注力していました。
そんなある日徳川家康に大事件が起きます。
それは織田信長から自分の息子である徳川信康(とくがわのぶやす)を殺害するように命令されます。
徳川家康は信康の事を可愛がっていましたが、信長の命令を拒んで戦う決意を下すことができず、彼の言う命令に従って信康を殺害。
また徳川家康は織田家と連合して長年の宿敵であった武田家を滅亡させます。
この時徳川家康は織田信長から「武田家滅亡の功績として駿河一国を与える」と言われます。
徳川家康は信長にお礼を言い終わると「駿河は元々今川家の物でしたので、今川氏真殿に差し上げたいと思います」ととんでもない事を言います。
どうして徳川家康はいきなりこんなことを言い始めたのでしょうか。
それは織田信長に疑われないようにするためです。
織田信長は非常に猜疑心の強い大名でした。
徳川家康は織田信長と長年同盟を継続していた為、彼の疑い深い性格を知り尽くし、彼の猜疑心から逃れるための方法を熟知していました。
徳川家康は織田信長の猜疑心から逃れる方法として「欲深い人物だと思われない事」だそうです。
そのため徳川家康は駿河一国を織田信長からもらえると知っても、あえて違う人物に譲る姿勢を見せる事で信長の猜疑心を回避。
その後徳川家康は織田信長が違う人物へ与えようとする所で、やっと自分の意思を表し「いえいえ。上様がそこまで言うのであれば、私が駿河一国を拝領します」と表現します。
このように「覇王の家」の徳川家康はチョー臆病な性格で徹底した保身主義者として描かれています。
織田信長は「そうか。ではお主がいらないのであれば、氏真に与えるとしよう」と家康の提案を受け入れます。
このように「覇王の家」の徳川家康は他者に対して臆病な性格の持ち主であり、保身主義者として描かれていました。
徳川家康の前半生を知れる歴史小説
「覇王の家」は徳川家康が主人公として描かれている歴史小説です。
上巻では徳川家康の前半生を知ることができるので、歴史の教科書では間違えなく勉強しないことがバシバシ登場。
そのためこの「覇王の家」の上下巻を読み終えた頃には、徳川家康の事をあらかた知ることができ、普通の人よりも一歩抜き出た家康マニアとして自慢できるかもしれません。
色々な参考文献が登場するので読んでいる内に歴史に詳しくなる
「覇王の家」は徳川家康の歴史を知るうえで必要な参考文献が本文でたくさん登場します。
そのため徳川家康の事を知りつつも、織田信長の事を描いている「信長公記(しんちょうこうき)」や徳川家の事を記した「三河物語(みかわものがたり)」、武田家の事が描かれている「甲陽軍鑑(こうようぐんかん)」などの参考文献に触れる機会が多くなるので、知らない内に歴史に詳しくなっていると思います。
歴史小説の割には堅苦しくなく読みやすい
歴史小説は大体堅苦しくて、難しい言葉ばかり使用しているので、敬遠されがちなジャンルだと思います(最近は読みやすい歴史小説がいっぱい増えてきているが)。
しかし司馬遼太郎の文庫本である「覇王の家」は歴史小説にも関わらず、やわらかい文体で描かれ、歴史小説の割にはかなり読みやすい部類に入ると思います。
また文庫本ですと文字が大きくて読みやすいのもおススメできるポイントです。
管理ネコ・ボスの感想
ボス「今回は「覇王の家」の本の特徴を紹介してきたにゃ。
ここからは「覇王の家」の感想を言っていきたいと思うにゃ。
一言で「覇王の家」の感想を表すならば、歴史上の徳川家康とは違う側一面が見れる事です。
歴史上の徳川家康は徳川幕府を作っただけあり、勇猛果敢な部分(勇猛果敢と言えるような戦ぶりを一度もした事無いが)や調略に優れていたなどが記されているにゃ。
しかし「覇王の家」の徳川家康は調略なんてほとんど使ったことが無いほどの田舎者大名として描かれ、勇猛果敢な戦の場面など一度も上巻では描かれていないにゃ。
そのため新鮮な徳川家康を「覇王の家」では味わうことができるにゃ。
今までと違った徳川家康を知りたい方にはお勧めの歴史小説だからぜひ見てほしいにゃ。
次は「覇王の家」の下巻も紹介していきたいと思うから楽しみにしててにゃ。」
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