「麒麟がくる」明智光秀が仕えた朝倉家には名将や勇将いた!?5分で朝倉家の名将と勇将を紹介!!

2020年4月4日土曜日

朝倉家 麒麟がくる

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みなさんこんばんわ。

今月もコロナウイルスの感染が広まっており、不要不急の外出を控えるようにと言われております。

しかし私には仕事がありますので、毎日マスクをしながら外へ外出している状況です。

皆様もお仕事で外出されている方が多いと思いますが、しっかりとマスクを装備して、外から屋内に入ったときは手洗いうがいを欠かさないようにしましょう。

これだけでも感染する可能性を軽減することができるそうです。

そして海外での感染率が高いのは手洗いうがいなどをする人が少ないから、多くの人がコロナウィルスに感染しているようなのです。

話が大幅にそれましたが、人気大河ドラマ「麒麟がくる」。

「麒麟がくる」の主人公は皆さんもご存知の通り、明智光秀です。

彼は美濃(みの)斎藤家が滅亡した後、越前(越前)朝倉(あさくら)氏の元に仕官。

越前朝倉氏と言えば、浅井家と手を組んで織田信長の抵抗勢力として頑強に戦った戦国大名です。

しかし朝倉家は織田家と対等に戦って勝利を一度も得ることなく滅亡を迎えてしまいます。

と言うことは朝倉家には名将や勇将と呼ばれる武将など一人もいなくて、弱小ばかりしか仕えていなかった残念な戦国大名だったのでしょうか。

今回は
「朝倉家に勇将や名将っていたのか」
「在宅ワークでの気分転換したい方」、
「暇つぶしの何かを探している」
方へ歴史の素人であるニャンコがわかりやすく書いた朝倉家についてまとめた記事になります。

5分ほどで読み終わるようにサクッとまとめましたのでどうぞご覧ください

朝倉家の名将や勇将はゼロだった!?

朝倉義景が当主であった頃、織田信長の攻撃を受けて越前朝倉家が滅亡。

なぜ越前朝倉家が滅亡することなったのか。

その理由は朝倉家に名将や勇将と呼ばれる武将が居なかったからではないでしょうか。

でも一人ぐらい名将や勇将が朝倉家に居るのではないかと思い、色々と資料を探ってみることにしました。

朝倉家の名将・朝倉宗滴


朝倉義景時代には名将と呼ばれる人がかなり少なかったですが、いなかったわけではありません。

そんな朝倉義景時代の数少ない名将の一人として挙げられるのは、朝倉義景が朝倉家当主になったばかりの家老職に就任していた朝倉宗滴(あさくらそうてき)です。

彼が本当に名将であったのか。

彼の実績から本当に名将だったのか探っていきたいと思います。

頭角を表した朝倉宗滴

朝倉宗滴は朝倉孝景(あさくらたかかげ)の八男として誕生します。

朝倉宗滴はある事件をきっかけに力を伸ばしていきます。

朝倉宗滴が力を伸ばすきっかけになったのは一族の朝倉景豊の謀反を密告した事です。

朝倉景豊(あさくらかげとよ)は義父にそそのかされて、朝倉家の当主である朝倉貞景に謀反を起こす決意をします。

朝倉宗滴は朝倉景豊の企ての謀反に加担していましたが、当時の朝倉家当主の支配体制が強固であったため、当時の朝倉家当主である朝倉貞景(あさくらさだかげ)に対して謀反を起こすことを止めて、朝倉景豊の謀反を密告。

その結果朝倉景豊の謀反は失敗に終わります。

そして朝倉宗滴は朝倉景豊の謀反を密告した功績によって、金ヶ崎城の城主となり、朝倉家の軍事のすべてを司る権力を手に入れることに成功します。

30万の大軍を1万人で倒す!!

朝倉宗滴は朝倉家の軍事権を行使する重役に昇進することになります。

朝倉宗滴が朝倉家の軍事のトップに上り詰めた頃、加賀(かが)・越中(えっちゅう)・能登(のと)の一向一揆衆が越前へ攻撃を開始。

一向一揆衆の総戦力は30万程と言われ、空前絶後大軍でした。

朝倉家は滅亡寸前の状況に追い込まれることになります。

しかし朝倉宗滴は1万程の軍勢を集めて一向一揆衆を迎え撃つため出陣。

両軍は九頭竜川をはさんで激しく戦いを行います。

この戦いは朝倉宗滴が一向一揆衆へ真夜中に奇襲攻撃を行って大成功した事がきっかけで勝利を得ることに成功します。

この朝倉家は九頭竜川の戦いに勝利した事で、滅亡の危機から逃れることになります。

浅井家の絆が深まったのはこの頃から

南近江(みなみおうみ)の六角氏と北近江(きたおうみの)浅井氏は長い間敵対関係にあり、ついに激突することになります。

朝倉家は六角氏からの要請を受けて、浅井家当主である・浅井亮政(あざいすけまさ)をけん制するため、小谷城へ出陣。

朝倉宗滴は浅井家と六角氏の敵対関係を調停するため、約5か月にわたって両家のために努力します。

この時朝倉宗滴は浅井亮政に色々とアドバイス。

浅井亮政は宗滴のアドバイスを受けて行動した事で六角氏との和解が成立します。

浅井亮政は朝倉宗滴にすっごく感謝した事がきっかけとなり、朝倉家と浅井家の絆が強くなっていくことになります。

両家のこの関係は織田信長に滅亡させられるまで続くことになります。

この両家は「麒麟がくる」でも必ず登場しますので、両家の絆の固さを知っておくと面白いかもしれませんね。

こうして朝倉宗滴は交渉事にも力を発揮している事が分かります。

朝倉家は六角氏と浅井氏の和睦を済ませた後、京都の将軍から権勢をふるっていた三好軍を攻撃してほしいとの要請を受けます。

朝倉宗滴はこの要請を引き受けるよう事を朝倉貞景に進言。

朝倉貞景は朝倉宗滴の進言を受け入れて、京都の三好軍を攻撃に朝倉宗滴を派遣します。

朝倉宗滴は三好軍を軽々と打ち破って京都から追い出すことに成功。

こうして朝倉家は将軍家からも感謝されることになり、盤石な地位を朝倉宗滴の活躍によって築くのでした。

朝倉宗滴は朝倉義景が当主となってからも、政治と軍事に尽力した事で、平和で軍事力にも秀でた国家を作り上げることに成功。

しかし朝倉宗滴は朝倉義景が当主となってから数年後に亡くなってしまいます。

そして朝倉義景が政治と軍事のかじ取りを始めた事で、朝倉家の力がどんどん減少していき、最後は織田信長によって滅ぼされてしまうのでした。

正に朝倉宗滴は朝倉家の名将と言っていい存在であったと思います。


朝倉家の勇将・真柄直隆



次に朝倉家の勇将を一人ご紹介してきたいと思います。

朝倉家きっての勇将は真柄直隆(まがらなおたか)という人物です。

真柄直隆は足利義昭(あしかがよしあき)が越前にやってくるまで、朝倉家に従いながらも朝倉家の家来ではなく、兵士を出すだけの半独立状態の豪族でした。

しかし真柄直隆の剛勇ぶりはすさまじく、大刀を軽々と振って足利義昭を驚かせたそうです。

その後真柄直隆は朝倉義景に従って、織田・徳川連合軍と戦うことになります。

獅子奮迅の働きを見せる

真柄直隆は朝倉義景に従って織田・徳川連合軍との戦いに参加するため、姉川へ出陣します。

真柄直隆は愛刀「太郎太刀」を引き抜いて、徳川軍の兵士達をばたばたとなぎ倒していく活躍を見せます。

ですが、朝倉軍は徳川軍の榊原康政(さかきばらやすまさ)軍の側面からの攻撃を受けた事で、動揺をきたすことになり、撤退をしていきます。

真柄直隆は朝倉軍の撤退を助けるため戦場に踏みとどまって徳川軍へ単騎で突撃を開始。

真柄直隆は愛刀を振り回して12段ある徳川軍の陣形の内、8弾を突破する獅子奮迅の働きを見せます。

しかし真柄直隆は徳川陣の8段目に突撃した時に力尽きてしまい、討ち取られることになります。

姉川の戦いで朝倉軍は徳川軍よりも兵力が多かったにもかかわらず、予想外からの敵の攻撃をちょこっと受けた程度で敗北する情けない姿をさらします。

情けない姿をさらした朝倉軍ですが、その中でも真柄直隆だけは敵からの追撃をさせない為、自らの敵陣の中へ突撃。

その結果、真柄直隆は亡くなってしまいますが、自分の命と引き換えに数万の兵士を助けることに成功します。

真柄直隆こそ朝倉軍きっての勇将と言える存在だったのではないでしょうか。


管理ネコ・ボスの一言


ボス「今回は朝倉家の名将と勇将について紹介させてもらったにゃ。

越前朝倉家は朝倉義景の時代には織田信長に敵対したこと以外、パッとした出来事を歴史に残すことが出来なかったにゃ。

その原因はやっぱり政治のかじ取りを行う政治家に有能な人物が居なかったことが原因だったにゃ。

朝倉義景が当主になった頃、政治のかじ取りをしていた朝倉宗滴に匹敵する人物がいれば、朝倉家の未来も大きく変化するはずだったにゃ。

でも残念ながら朝倉家にはそのような有能な人物を育てる事も、見出すこともできなかったにゃ。

歴史にもしはタブーだけど、朝倉家に朝倉宗滴に匹敵する人物が存在して、朝倉家の政治のかじ取りを握っていたとしたら、どうなっていたんだろうにゃ。

もしかしたら朝倉家が織田信長を滅ぼしていたかもしれないニャ。

朝倉家が織田信長を滅ぼして、一向一揆衆も倒してしまうことができたら、朝倉家が京都にまで進出。

その後朝倉家は将軍家への思いが強いので、足利義昭を擁立して、足利幕府の再興へ向かって歩き出していたかもしれないニャね。

こうやって歴史のもしを考えるとかなり面白いので、これを読んでくれた方も歴史のもしあの時○○だった~もしこの戦で○○だったら、などを考えると面白いから、不要不急の外出をする必要が無い土日に考えてみるといいかもしれないニャネ。」

参考文献 新人物往来社「朝倉義景のすべて」など



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