ニャンコです。
今回は「麒麟がくるに」登場する可能性の高い荒木村重のちょっといいお話と天国と地獄を味わった彼の経歴についてもご紹介してきたいと思います。
この記事では
- 「荒木村重のいいお話聞いてみたいと思っている方」
- 「荒木村重が麒麟がくるに登場する前に情報を仕入れておこう」
- 「毎日在宅で暇で暇でしょうがないから時間潰せる物ないかな」
5分ほどで読み終わるようにサクッとまとめてご紹介していきたいと思います。
幼少期の荒木村重のちょっといいお話
荒木村重が12,3歳頃のちょっといいお話をご紹介したいと思います。
荒木村重は幼少期から腕力の強い人で、碁盤に父を載せて片手で持ち上げるほどの力自慢でした。
そんな荒木村重の腕力に感心した父は彼をべた褒めします。
しかし荒木村重は喜びませんでした。
荒木村重は父へ「力だけがあっても何の意味もないのです。ですが私の腕力も悪者を退治するために使えば、喜んでくれる人もいるかもしれませんね」と言ってのけます。
その後荒木村重はこの言葉通り、民衆を困らせていた豪族を打ち倒して力の使い道を誤らず行使するのでした。
度胸もある荒木村重の自慢話!!
荒木村重は腕力だけでなく度胸もありました。
荒木村重の度胸が発揮されるのは織田信長に仕えた時です。
織田信長は荒木村重を気に入って自分の所に呼び出します。
荒木村重は織田信長の元へやってくるといきなり「私に摂津(せっつ)の国を平定して、治めたいと思います」と発言。
織田家でまだ何も功績を挙げていないにもかかわらず、「国の乱れを治めたらその国をくれ!!」と言うなんてとんでもない人物ですよね。
今風に表すなら「この事業でバッチリ手柄を立てたら、部長もしくは課長、いやいやこの子会社の社長にしてくれ」って言ってるみたいなものです。
さすがの織田信長もびっくり。
しかしここで織田信長はもっとすごい事を荒木村重に対して行います。
織田信長は持ちを持ってこさせて刀を抜いて二、三個突き刺し「食ってみろ若僧」と荒木村重へ差し出します。
織田信長の側近は二人のやり取りを見てびっくりしていましたが、織田信長や側近達はとんでもない光景を目にすることになります。
それは荒木村重が「このうまそうな餅くれんの!?ありがとうございま~す」と言って刀に突き刺さった持ちをそのまま食べてしまうのです。
この時荒木村重は刀を口の中にまで入れて食べていました。
織田信長は荒木村重が平気で持ちを繰っている姿を見て爆笑し「おお!!若僧よ。よう餅を臆さず食ったわ!!ぬしの言う通りにしてやろう」と言って荒木村重の言う通り、摂津の国の平定を任せてそのまま国をあげてしまうのでした。
荒木村重がかなりの度胸を持った人物であった事がうかがえます。
自分を知る者へ手厚くもてなす荒木村重のいい話
荒木村重は織田信長に仕えますが、織田信長に仕えるのが嫌になったのでしょうか。
突然荒木村重は織田信長に対して謀反を起こします。
織田信長は荒木村重が謀反を起こした事にびっくりして「どうしてあやつは謀反を起こしたの」と家来に命じて調査させます。
しかし理由ははっきりしないままでした。
そこで織田信長は明智光秀を派遣して「荒木村重を説得してこい」と命令。
明智光秀は織田信長の家来達と一緒に荒木村重を必死に説得しますが、謀反を止めさせることはできませんでした。
そこで次に派遣されたのは羽柴秀吉です。
荒木村重と羽柴秀吉は仲が良く説得にはもってこいの人選でした。
こうして羽柴秀吉は荒木村重の説得に取り掛かりますが、失敗に終わります。
この時、荒木村重は羽柴秀吉がわざわざ来てくれたことに感動し「私の年来の友だ。酒やごちそうを出してもてなそう」と言って羽柴秀吉をもてなします。
その後荒木村重は有岡城の出口まで羽柴秀吉を見送ったそうです。
このように荒木村重は自分と仲の良かった人物に対しては敵対していたとしてもしっかりとおもてなしする人でした。
でもこの話ちょっとおかしくないかい!?
だって荒木村重は明智光秀の娘を自分の息子の奥さんにもらっているのにどうして明智光秀をもてなさなかったの。
と疑問に思っている方もいると思います。
その理由は明智光秀が単体で荒木村重の説得に来たわけではないからです。
明智光秀は織田信長の側近もつれてきていたので、荒木村重も明智光秀をもてなすことが出来なかったんだと思います。
もし明智光秀一人で来ていれば、荒木村重も明智光秀を手厚くもてなしていたと思います。
地獄と天国を味わった荒木村重
荒木村重は戦国武将の中でも天国と地獄の両方を味わった人物です。
織田信長に仕えた頃の荒木村重は功績をバシバシ挙げて、摂津一国の大名にまで出世する武将でした。
しかし織田信長に反旗を翻した荒木村重はここから地獄を味わうことになります。
荒木村重は毛利家から援軍を送ってくれる約束を取り付けていました。
ですが、いつまで経っても毛利家の援軍はやってきません。
そのため荒木村重は織田家の攻撃に耐えきることができず、有岡城(ありおかじょう)を捨てて支城へ逃亡しますが、織田軍に支城も落とされてしまい、毛利家を頼って逃げ延びます。
荒木村重は毛利家に匿われることになりますが、その後織田信長が本能寺の変で討たれた事で堺に住まいを映して暮らすことになります。
羽柴秀吉は友人である荒木村重を大名として召し抱えるのではなく、茶人として荒木村重を召し抱えます。
荒木村重は茶人として復活。
ですが、荒木村重は再び地獄に落ちることになります。
荒木村重は織田信長に反旗を翻した際、キリシタン大名に裏切られたことがありました。
そのため荒木村重は自分を裏切ったきりキリシタンに恨みを晴らすべく、羽柴秀吉へキリシタン大名の悪口をいっぱい言って秀吉に嫌われるよう仕向けます。
この荒木村重の作戦は失敗に終わり、羽柴秀吉の激怒されてしまいます。
その後荒木村重は羽柴秀吉と会うことが出来なくなってしまった為、「くそ!!猿のくせに生意気な」と秀吉の悪口を知り合いに言っていました。
羽柴秀吉の奥さんである寧々は荒木村重が旦那の悪口を言っている事を知り、羽柴秀吉に報告。
荒木村重は自分が羽柴秀吉の悪口を言っている事を寧々が知っているらしいと聞き逃亡。
その後荒木村重は出家して何とか羽柴秀吉の怒りの矛先をかわしますが、二度と歴史の表舞台に出ることはないまま、静かに亡くなるのでした。
荒木村重はまさに天国と地獄の両方を味わった戦国大名と言えるのではないでしょうか。
まとめ
今回は荒木村重のちょっといいお話をご紹介しました。
荒木村重のいい話から見る彼の性格をまとめてみましたのでご覧ください。
- 腕力に優れた武将
- 度胸もある
- 敵対していても友達をもてなす心を忘れない武将
- 茶人としても優れていた教養人
- 天国と地獄の両方を味わった武将
以上になります。
もし荒木村重が織田信長に謀反をしないでそのまま仕えていれば、地獄を見ることなく豊臣時代にもそれなりの地位を約束されていたのではないでしょうか。
どうして荒木村重が織田信長に謀反したのかについては色々と理由があるようですので、史料をまとめて記事にしたいと思います。
ボス「本日もニャンコと僕の記事を見てくれてありがとうニャ。
そろそろ新しい写真をアップしてブログに掲載するつもりだから楽しみにしていてくれにゃ~。
それじゃまた次回お会いしましょう~。」
参考文献 日本の大名・旗本のしびれる逸話 東邦出版など
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