ニャンコです。
今回紹介するのは「麒麟がくる」の主人公である明智光秀と明智光秀の親友である・細川藤孝(ほそかわふじたか)の関係性を紹介したいと思います。
細川藤孝は明智光秀の親友と言われていますが、本当に親友なのでしょうか。
ここでは
- 「麒麟がくるに登場する細川藤孝を知りたい」
- 「細川藤孝と明智光秀ってどんな関係だったの」
- 「麒麟がくる面白いけど細川藤孝って誰!?」
などの疑問を持っている方へ歴史に詳しくないニャンコが素人目線で書いた記事になります。
5分ほどで細川藤孝と明智光秀の関係性を紹介していきたいと思いますので、家事の合間や寝る前に読んでみてはいかがでしょうか。
細川藤孝と明智光秀の関係性は!?
司馬遼太郎の「国盗り物語」では明智光秀の親友として描かれている細川藤孝。
「麒麟がくる」でも細川藤孝は生涯の盟友として登場人物の紹介覧一覧に記載されています。
しかし細川藤孝は明智光秀にとって本当に盟友と呼べる存在だったのでしょうか。
史料から二人の関係性を色々と調査してみました。
趣味が合った細川藤孝と明智光秀
細川藤孝と明智光秀は共通の趣味を持っていました。
それは連歌です。
細川藤孝は連歌においては達人クラスの領域に達している人物でした。
そして明智光秀も連歌を得意としていた人物です。
細川藤孝は明智光秀を招いて連歌の会を開いている事から、二人の仲は友人と言える存在であったことがうかがうことができます。
細川藤孝と明智光秀は親戚関係だった!?
細川藤孝と明智光秀は趣味が合う友人関係だっただけでなく、親戚の間柄でした。
織田信長は明智光秀と細川藤孝に命じて、婚姻関係を結ぶように命令します。
明智光秀にはお玉(後の細川ガラシャ)と言う娘さんが居ました。
そして細川藤孝にも嫡男・忠興(ただおき)が未婚のままでした。
そのため二人は織田信長の命令を受けて、お玉と忠興を結婚させます。
こうして細川藤孝と明智光秀は婚姻関係を結ぶことになり、親戚関係になるのでした。
同じ主君に仕えた経歴を持つ二人
細川藤孝と明智光秀は同じ主君に仕えていた経歴を持ちます。
細川藤孝は幕臣として足利義輝(あしかがよしてる)と足利義昭(あしかがよしあき)に仕えていました。
明智光秀も細川藤孝と同じで朝倉家(あさくらけ)を見限った後、足利義昭へ仕えることになります。
その後細川藤孝と明智光秀の二人は足利義昭を見捨てて織田信長へと仕えることになります。
細川藤孝と明智光秀は親友だった!?
ここまで細川藤孝と明智光秀の二人の関係性を紹介してきました。
ここまでの経緯を見ると細川藤孝は明智光秀に嫌な感情を持っていたようには思えません。
むしろ明智光秀の友人として接していたと考えてもおかしくないように思えます。
ですが、にゃんこは細川藤孝が明智光秀の友人でしたが、上っ面だけだったと思います。
なぜそのように考えるのか。
理由をつらつら説明していきたいと思います。
細川藤孝と明智光秀は親友じゃなかった!!
明智光秀は織田信長を本能寺で殺害。
明智光秀は織田信長を殺害した後、味方を集めるため四方八方に手紙を送ります。
もちろん明智光秀は友人であり親戚関係にある細川藤孝にも「味方になってくれるよう」手紙を送ります。
明智光秀は細川藤孝なら必ず味方になってくれるであろうと信用していました。
しかし細川藤孝は明智光秀の手紙を見ても、彼の味方になる事はありませんでした。
普通に考えれば親戚の関係であり、友人でもあるならば味方になってもおかしくないはずです。
諸勢力も明智光秀の味方になるのは細川藤孝だろうと考えていたと思います。
ですが、細川藤孝は明智光秀からの手紙を見ても彼の味方になろうとしませんでした。
どうして細川藤孝は明智光秀の手紙を見て、彼の味方にならなかったのか。
その理由はニャンコの考えですと細川藤孝が生き延びるためです。
細川藤孝は明智光秀からの手紙がくる前から「光秀の味方になればどうなるか」をずっと考えていました。
細川藤孝は考え抜いた結果「明智光秀を捨てて、彼を倒した勢力に接近する事で、勢力を保持していこう」と決断。
そのため細川藤孝は明智光秀を見捨てて、織田信長を弔う姿勢を見せ、明智光秀の味方にならないことを内外に宣言します。
細川藤孝は明智光秀の友人であったと思いますが、明智光秀の親友ではなかったと思います。
明智光秀に激怒して味方に加わらなかった細川藤孝
上記で細川藤孝が明智光秀の親友ではない事を紹介しました。
しかし細川藤孝の視点に立って考えると明智光秀にも悪い所があったと思われます。
その理由はいったい何なのか。
それは明智光秀が織田信長に謀反を起こす決断をする前に、細川藤孝に相談しなかった事です。
細川藤孝が明智光秀を親友であると思っていたら、事前に親友へ相談する事もなく行動してしまった人をどのように思うでしょうか。
大したことでなけばいいです。
しかし自分の主君を殺害するような大事件を起こす前に親友であるならば、一言相談ぐらいあってもいいじゃないかと思うのではないでしょうか、
細川藤孝が明智光秀に味方しなかったのは、親友である自分に事前に相談が無かったから、明智光秀に失望してしまい、彼の味方をしなかったのかもしれませんね。
まとめ
今回の記事をまとめていきましょう。
- 細川藤孝と明智光秀は友人関係。
- でもホントはふたりの信頼関係は深くなかった!!
この二つが今回の記事のポイントです。
細川藤孝と明智光秀は間違えなく友人関係を結んでいたと言えます。
ですが、細川藤孝と明智光秀が細川藤孝と明智光秀が親友であったかと問われれば、違うようにニャンコは思います。
まず明智光秀が本能寺の変の事を細川藤孝に打ち明けなかったからです。
そして本能寺の変後に明智光秀の味方に細川藤孝が加わらなかったからです。
両者お互いに相手を本当に信頼していなかったと言えるのではないでしょうか。
もし明智光秀が謀反を起こす前に細川藤孝へ相談していれば、本能寺の変を起こすことなく、織田信長が天下統一していたかもしれません。
また細川藤孝が止めたにもかかわらず、明智光秀が本能寺で織田信長を襲う固い決意をしていれば、もしかしたら細川藤孝が味方に加わってくれたかもしれません。
歴史にもしもは禁止ですが、あえてもしを使うのであれば、明智光秀が細川藤孝へ事前に本能寺のを襲うべきか相談していたらどうなっていたのか。
気になる所ではありますね。
管理ネコ・ボスの一言
ボス「今回は細川藤孝と明智光秀について紹介したニャ。
所でこのブログをこのほど大改修を施して、スマホやアイフォンでも見やすいようにしましたニャ。
そのためお出かけ先や旅行先、遊んでいる最中でも僕のブログをブックマークしてくれれば、今までの100倍くらい見やすくなったニャ。
だからみんな~僕のブログをブックマークしていっぱい見てニャ~。
そんで気に入ったら他の友達に紹介して呉れにゃ~。
よろしくお願いしますニャ~」
参考文献 「細川幽斎・忠興のすべて」新人物往来社など
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