織田信長は弟が数人いました。
織田信長の弟達の中でも、織田信長の一番のライバルであり、激しく争った織田信勝(おだのぶかつ)。
織田信勝は「麒麟がくる」でも登場しますが、どのような人物だったのでしょうか。
この記事では
「織田信長の弟である織田信勝って誰??」
「織田信長の弟って誰!?」
「織田信勝そんな人ホントにいたの!?」
などの疑問を思っている方へ歴史に詳しくないニャンコが素人目線で書いた記事になります。
5分ほどで紹介しますので、カップラーメンの待ち時間や作業の合間などに見ていただければ幸いです。
兄・織田信長と一緒に領地を経営
織田信勝は織田信秀(おだのぶひで)の息子として誕生します。
織田信長は織田信勝の一つ上のお兄さんです。
織田信長は弟である織田信勝とは違って父・織田信秀と一緒に尾張の領土経営に携わることになります。
織田家はこのように織田信秀と織田信長の二人で、尾張を治めていたのでした。
しかし織田信勝と織田信長の父である織田信秀が病にかかってしまい、織田信長と一緒に尾張の地を治めていく事が難しい状況になってしまいます。
そのため織田信秀は織田信長の弟である織田信勝を抜擢し、織田信長と一緒に尾張の領土を経営していくように命令。
こうして織田信長と織田信勝二人で一緒に尾張の地を治めていくことになります。
対照的な兄弟
織田信秀は病のせいで亡くなってしまいます。
織田信長や織田信勝の兄弟は父の死を悲しんでおり、織田家の家来も二人の兄弟と同様の心境でした。
その後織田家は織田信秀の葬式を執り行うことになります。
「信長公記」によれば織田信勝は正装して礼儀正しく葬儀を見守っていました。
しかし兄である織田信長は葬式場に茶筅を結って、袴をはかず葬式には似合わない姿で突然登場。
そして父の仏前に抹香を投げつけてる非礼極まりない態度で、葬式場を後にするのでした。
織田信長のこの態度に織田家の家来達は失望してしまうのでした。
織田家の東部と末森城をゲット
織田信勝は父・織田信秀の居城であった末森城(すえもりじょう)の城主として入城。
更に織田信勝は織田信秀の重臣だった柴田勝家(しばたかついえ)・佐久間盛重(さくまもりしげ)らを家来にします。
更に織田信勝は兄である織田信長と父の領土を半分にして、東部を領地としてもらうことになります。
この結果、織田信勝は兄である織田信長よりも強い権力をもつ事になり、織田信秀の跡を継いで織田家の当主になった織田信長にとって厄介な存在になります。
織田家の当主を名乗る織田信勝
織田信勝は兄が織田家の当主になっているにもかかわらず、織田信秀が名乗っていた弾正忠(だんじょうのちゅう)を名乗ります。
もちろん織田信勝は織田信長に相談することなく勝手に名乗ることになります。
織田信長は弟が勝手に弾正忠を名乗った事に怒りを感じていました。
しかし織田信長は冷静に織田信勝に対抗する手段として尾張守護(おわりしゅご)の斯波家(しばけ)の一人を立てます。
こうして織田信勝と織田信長は尾張の実力者となるため、尾張の国を真っ二つにして兄弟げんかを開始するのでした。
有利な状況を築く
織田信勝は織田信長と敵対関係になり、一触即発の状況になります。
そんな中、織田信長を支援していた美濃(みの)の斎藤道三が息子・斎藤義龍に殺害されてしまいます。
斎藤義龍は織田信長を助けないで、織田信長と敵対関係にある勢力を支援。
この結果織田信長は弟・信勝に加えて新たな敵対勢力とも戦わなくてはならなくなり、厳しい状況になってしまいます。
対する織田信勝は織田信長の敵対勢力が増えた事に喜び、どんどん有利な状況になっていくのでした。
織田信長VS織田信勝
織田信勝は織田信長と敵対する事を領内に宣言。
その後織田信勝は織田信長の領土を奪うべく行動を開始します。
織田信長は織田信勝が自分の領土を奪うために侵入してきた事を知って怒り、織田信勝率いる軍勢を倒すために出陣します。
両軍は稲生(いなう)という所で激突することに。
織田信勝は柴田勝家などの猛将が居ましたが、織田信長の必死の奮戦によって敗北し、織田信勝の家来も数人この戦いで討ち死にしてしまいます。
この戦いは織田信勝の敗北で幕を閉じます。
織田信勝は稲生の戦いで敗北した後、居城である末森城へ逃げかえって籠城。
織田信長は織田信勝を倒すため、末森城を包囲しますが、母である土田御前(つちだごぜん)が仲裁します。
このため織田信勝は織田信長に許されることになるのでした。
織田信長に敵対し続ける織田信勝
織田信勝は織田信長に敗北した後も織田信長に対して、敵対行動を取り続けていました。
例えば織田家と敵対している今川家の領土近くに築城したり、再び織田信長の領土へ出陣して奪おうとします。
織田信長は弟・織田信勝を許してやったにもかかわらず、敵対行動を取り続ける姿勢に怒り、彼を殺害しようとある計画を立てるのでした。
織田信勝死す
織田信長は清州城(きよすじょう)で病気にかかったと各地へ噂を流させます。
織田信勝は織田信長が病にかかった事を知って嬉しがります。
その後織田信長の家来から清州城へお見舞いに来てほしいと連絡が入ります。
織田信勝は織田信長の状況がかなり悪いと考え、彼の居城である清州城へ向かうのでした。
織田信勝は清州城に到着すると、すぐに織田信長が臥せている寝床に案内されます。
織田信長は織田信勝がやってきた事を知ると布団の中に隠していた刀を抜いて、織田信勝を殺害してしまいます。
織田信長の最大のライバルであった織田信勝は織田信長に殺害されて、人生に幕を下ろすことになるのでした。
管理ネコ・ボスの一言
ボス「今回は織田信長の弟である織田信勝について紹介しましたにゃ。
織田信長は織田家家中の中で最大のライバルであった織田信勝を倒した後、一気に尾張の中で勢力を拡大し、尾張統一を完了させることになるにゃ。
もし織田信勝が生存していれば、織田信長が尾張統一をするのはかなり難しい状況であったと思いますにゃ。
また織田信勝が織田信長と敵対し続けていれば、西からやってくる東海地方最強の大名である今川義元(いまがわよしもと)に二人そろって敗北していたかもしれないニャ。
これらの事を考えれば、織田信長が早急に織田信勝を倒すことができたのは苦しい決断だっかもしれないけれど、織田家にとっては素晴らしい決断だったと思うニャ。
織田信勝は戦の経験が乏しく、稲生の戦いで有利な状況にあったにもかかわらず、織田信長に敗北してしまったにゃ。
でも織田信勝は鷹狩りが名人と言えるほど巧かった沿うニャ。
元々織田信勝の史料は現存しているの物がかなり少ない為、「麒麟がくる」で織田信勝役を担当した木村了って人はかなり苦労したんじゃないかニャ。
ネコである吾輩は木村了って人がどんな人かわからないけど、「麒麟がくる」の織田信勝役に抜擢するくらいだから、演技力も抜群なんだろうにゃね。
その演技力を生かして史料に乏しい織田信勝を「麒麟がくる」で見事に演じ切ってほしいにゃね」
参考文献 「織田信長」吉川弘文館 池上裕子著など
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