こんばんわ。
最近「巣ごもり生活」が続いているため、運動する機会が減ってますます太っていくニャンコです。
ボスは食べて寝ての生活を繰り返しているにもかかわらず、いつもと同じ体型を保っています。
ネコはもしかしたら食べて寝て生活をし続けても太らない生物なのでしょうか。
さて前置きはこれぐらいにして本題に入りたいと思います。
今回紹介するのは「麒麟がくる」に登場する人です。
その人物は近衛前久(このえさきひさ)です。
近衛前久を一言で表すならば「トラベラー関白(かんぱく)」です。
関白はWikipediaによれば成人した天皇様を補佐するとっても偉い役職の事です。
さてそんな偉い関白・近衛前久が「麒麟がくる」に登場しますが、ここでは歴史に詳しくないニャンコが「麒麟がくる」に近衛前久が登場する前にどのような人物であったのかをまとめていきたいと思います。
この記事では近衛前久が
- どんな人物だったのか⁉
- 何をした人なのか?
- どのような最期を迎えたのか
などを5分で分かりやすくご紹介していきますので是非ご覧ください。
上杉謙信と仲良くなる
近衛前久は1536年に近衛家の長男として誕生。
父が公卿であった事もあり、近衛前久はどんどん朝廷内での官位があがっていき、19歳で従一位(じゅういちい)を授与されます。
19歳で朝廷の最上位に近い位を与えられるってどんな気分なんですかね。
ニャンコはそのような位をもらった事が無いので、分かりませんがすごくいい気分になるのでしょうか。
それとも自分が望んでもいないのに高い位を得た事に驚いてしまうのか。
どんな気分で近衛前久がこの位に就任したかわかりませんが、この従一位の位をもらってから4年後、越後(えちご)の上杉謙信が京都へ上洛してきます。
この時近衛前久は上杉謙信と酒盛りをして意気投合し、仲良くなります。
近衛前久は上杉謙信が越後へ帰った翌年、上杉謙信がいる越後へ遊びに行きます。
その後も近衛前久は何度か上杉謙信に会うために越後へ行くのでした。
朝廷の最高位の位を授与されながら、仲良くなった人へ会うために単身旅行に出てしまう「トラベラー関白」近衛前久ですが、京都へ帰ると思わぬ事件に遭遇するのでした。
朝廷から追い出されてしまう「トラベラー関白」
京都へ帰った近衛前久は足利幕府の将軍・足利義輝を殺害した三好三人衆(みよしさんにんしゅう)らが彼を頼ってきます。
なぜ三好三人衆が近衛前久を頼ったのか。
その理由は三好三人衆が足利義輝殺害の罪人として詰問を受けるのではないかという恐怖心からでした。
近衛前久は「麒麟がくる」にも登場している足利義輝とは従兄弟の関係でしたが、足利義輝に嫁いでいた自分の姉に危害を加えないで保護した事を喜び、彼らが立てた新しい将軍を支援し、将軍就任をあっせん。
しかし近衛前久の行動に怒りを感じていた人物がおりました。
それは足利義輝の弟・足利義昭(あしかがよしあき)です。
足利義昭は織田信長の力を借りて京都へやってきて将軍の位に復活すると、「近衛前久が兄殺害に関与しているはずだ」と疑惑の目を向けてきます。
また前の関白である二条(にじょう)さんも「近衛はんは足利義輝はんの殺害に関与しているのでおじゃるよ」と発言。
これらの発言によって近衛前久は朝廷から追い出されてしまうのでした。
朝廷から追い出されてしまった近衛前久はとりあえず、丹波の赤鬼こと赤井直正(あかいなおまさ)を頼っていくのでした。
織田信長の助けで舞い戻る「トラベラー関白」
近衛前久は赤井直正の所で生活しておりましたが、織田信長から「京都へ戻れるから帰ってきなさい」と言われます。
「トラベラー関白」こと近衛前久は喜んで帰って聞きますが、「なぜ京都へ戻れるようになったんじゃろうか」と道中首をかしげておりました。
いったい京都で何が起こったのか。
それは近衛前久を追い出した足利義昭と二条さんが京都から追放されてしまったからです。
足利義昭は織田信長の力を借りて将軍へ復帰。
しかし足利義昭と織田信長は考えの違いからどんどん仲が悪くなっていきます。
足利義昭は我慢の限界がきて織田信長に対して反乱を起こします。
ですが、足利義昭の反乱は失敗に終わり、織田信長に何度も誤って命を助けてもらう代わりに京都から追放されてしまいます。
そして二条さんも織田信長との関係が悪くなって京都にいずらくなり、朝廷からいなくなってしまうのでした。
足利義昭と二条さんが居なくなったため、近衛前久が京都へ帰れる事になったのです。
織田信長とも仲良くなる「トラベラー関白」
近衛前久はこうして京都に帰ってきます。
近衛前久は京都に帰ってくるとすぐに織田信長へ「京都へ帰ってこれるようにしてくれてありがとうございます」と感謝を述べます。
すると織田信長は「おう‼そういえば近衛さん。鷹狩りがめちゃくちゃ好きなんだって。一緒に一狩り行こうよ。」と誘います。
近衛前久は織田信長から鷹狩りに誘われた事がきっかけで、仲良くなっていきます。
その後近衛前久は織田信長からの要請を受けて九州へ旅行。
近衛前久が九州へ旅行に行った目的は九州地方で争っている大名達が戦いを止めるためでした。
近衛前久はこの目的をある程度達成し、九州旅行を満喫した後、京都へ帰ります。
京都へ帰ってきた近衛前久は織田信長の宿敵であった本願寺(ほんがんじ)を降伏させる為、活動を開始。
近衛前久の尽力によって本願寺は織田信長と和平を結び、大阪から去っていきます。
織田信長は近衛前久のおかげで宿敵が居なくなった事をすごく喜び「近衛さん。ほんとありがとう‼俺が天下平定したら、あなたに国を一つ上げるから楽しみにしててね」と伝えるのでした。
近衛前久は織田信長へ「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べ、「信長さん。一つお願いがあります。私はまだ甲州へ旅をしたことが無いので、もし甲州へ行くことがあれば私も一緒について行っていいですか」とたずねます。
すると織田信長は「いいよ。甲州でまた一狩りしようか」と笑いながら了承するのでした。
こうして織田信長は武田家討伐戦へ出陣する時、近衛前久を伴って一緒に甲州へ向かうのでした。
仲良しであった織田信長が殺害される
織田信長と一緒に甲州へ旅行した近衛前久は京都へ帰ってからも、織田信長と変わらず親しい関係を続けておりました。
しかし近衛前久と織田信長の仲良し関係がある事件をきっかけにぶち壊されてしまいます。
その事件は「本能寺の変」です。
明智光秀が突如、織田信長が宿泊していた本能寺を攻撃し、織田信長を殺害してしまうのでした。
近衛前久はこの事件を知って大きくショックを受けてしまいます。
更に近衛前久にとって悪い出来事が続きます。
それは「本能寺の変」を起こした明智光秀が「近衛前久の家から本能寺へ攻撃した」と悪口が朝廷に流れていた事でした。
このことを聞いた羽柴秀吉は明智光秀を倒した後、近衛前久を厳しく追及。
近衛前久は明智光秀に協力したわけではないので、「そんな事は知らない」と何度も羽柴秀吉へ訴えます。
しかし羽柴秀吉は近衛前久の言葉を信用しませんでした。
そのため近衛前久は羽柴秀吉の疑いを晴らせないまま、京都から追い出されてしまいます。
京都を再び追い出された近衛前久は徳川家康を頼っていくのでした。
まとめとその後の「トラベラー関白」
今回は近衛前久について色々とご紹介してきました。
この記事をまとめると下記の通りになります。
- 各地を旅行しまくった近衛前久
- 上杉謙信・織田信長等戦国時代一流の人物と交友関係があった
- 織田・豊臣・徳川の三時代を生き延びた人
以上です。
さて近衛前久は徳川家康の元に身を寄せた後、どうしたのでしょうか。
近衛前久のその後をご紹介して終わりたいと思います。
近衛前久は徳川家康の元に身を寄せた後、足利将軍家ゆかりのお寺に隠居して悠々自適の生活を送っていたそうです。
近衛前久は隠居したはずなのに関ヶ原の戦いでは島津家に接近したり、東軍の武将を匿ったりと精力的に活動していました。
そんな近衛さんですが、77歳で生涯を終えたそうです。
ボス「このモンゴルhistoryもそろそろ半年を迎えるニャ。
半年を迎えるについて僕は新しい事を始めようかなと思って居るニャ。
もちろんこのブログを継続しながらやっていくニャ。
何をするのか今は準備中だから、できるようになったらここで紹介するから楽しみにしていてほしいにゃ。
それじゃまたニャ~」
参考文献 「流浪の戦国貴族近衛前久 天下一統に翻弄された生涯」など
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