ニャンコです。
今回紹介するのは織田信長の側近として活躍した堀秀政(ほりひでまさ)です。
堀秀政を一言で表すと「何でもこなせる万能武将」です。
本当に堀秀政は万能武将であったのか。
今回は堀秀政について
- 堀秀政は何でもこなせる万能武将なのか
- 堀秀政は「麒麟がくる」には登場するのか
- 堀秀政の凄い逸話について
などを歴史に詳しくないニャンコが素人目線でまとめて5分ほどでご紹介してきたいと思います。
ホントに万能な武将・堀秀政の活躍その1:わずか16歳で奉行を務める
堀秀政は本当に何でもこなせる万能な武将だったのでしょうか。
この点についてご紹介していきましょう。
堀秀政は織田信長が美濃(みの)を手に入れた頃、織田信長の側近として仕えます。
堀秀政は織田信長の側近としてコツコツ仕事をこなしていきます。
そんなある日、織田信長から「秀政君。将軍様である足利義昭殿の仮住まいとしている本圀寺(ほんこくじ)の修築作業の指揮をしてきなさい」と命令を受けます。
堀秀政は織田信長から命令を受けて京都へ向かいます。
京都に着いた堀秀政は足利義昭の仮住まいのである本圀寺(ほんこくじ)の修築作業を開始。
堀秀政ははじめての仕事でしたので、人をどのようにして動かせばいいのかなどに悩み、苦労しました。
しかし堀秀政は現場で人の動かし方などを学びながら仕事を行い、足利義昭が宿泊するお寺の修繕作業を見事に成功させます。
こうして堀秀政は1つの仕事をやり遂げて、織田信長の元へ報告に向かうのでした。
余談ですが、堀秀政が本圀寺の修築作業の指揮を執ったのは16歳です。
16歳で現場の作業員や自分よりも偉い武将達を動かして、現場の差配を取るってかなりすごい事だと思うのですが、皆さんはどう思いますか。
ホントに万能な武将・堀秀政の活躍その2:戦場でも活躍!!
堀秀政は織田信長から才能を認められ、側近以外の仕事を与えられることになります。
堀秀政が織田信長に命じられて与えられた仕事は戦に出る事でした。
堀秀政は朝倉氏から越前(えちぜん)を奪った後に暴れまわっていた一揆衆(いっきしゅう)を討伐する戦に出陣。
堀秀政は一向一揆を倒す戦でもしっかりと実力を示した事がきっかけで、雑賀衆を倒す戦にも参戦します。
堀秀政は越前で戦場に参加した時は兵士を与えられたわけではありませんでした。
ですが、堀秀政は雑賀衆を倒す戦に参加した際、織田信長から兵を授けられます。
そのため堀秀政は自ら考えて兵士を進退させて、戦に臨まなければならなくなります。
果たして堀秀政はうまく兵士を操る事が出来たのか。
堀秀政はしっかりと兵士を率いて雑賀衆を倒す戦でも功績を残します。
織田信長は堀秀政が戦場で部隊を指揮する能力を持っている事を知って、再び兵士を与えて戦場へ赴かせます。
堀秀政が次に戦う相手は織田信長に反乱を起こした荒木村重(あらきむらしげ)を倒す戦でした。
この戦でも堀秀政は鉄砲隊を率いて、有岡城を包囲する戦に参加してしっかりと功績を残すのでした。
側近としても活躍し、戦場でも実力を示した堀秀政。
何をやらせてもそつなくこなす正に万能な武将と言えると思いますが、皆様はどのように思いますか。
ついに大名へ登る万能武将・堀秀政
堀秀政は織田信長が本能寺の変で明智光秀に殺害された後、羽柴秀吉の味方に付きます。
その後堀秀政は明智光秀を倒す「山崎の戦い(やまざきのたたかい)」で活躍し、明智光秀の家来である明智秀満(あけちひでみつ)の最後を見届けます。
こうして活躍し続けた堀秀政は羽柴秀吉から領地をもらい大名へ出世。
その後も堀秀政は柴田勝家(しばたかついえ)と羽柴秀吉の決戦である「賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)」や島津家を倒す戦など数々の戦で功績を挙げていきます。
数々の大きな戦に参加して功績を残した堀秀政は万能な武将と言ってもいいのではないでしょうか。
「麒麟がくる」に堀秀政は登場するのか!?
万能武将としての堀秀政をここまでご紹介してきましたが、「麒麟がくる」に登場するのでしょうか。
ニャンコの予想ですが、堀秀政も登場するのではないでしょうか。
上記でもお話しましたが、堀秀政は明智光秀の家来である明智秀満の最後を見届けた武将です。
更に堀秀政は明智光秀と一緒の戦場である越前の一揆衆を倒す戦や有岡城の戦いにも参加しております。
そして堀秀政は織田信長の側近としても青年時代に活躍しておりますので、どこかで明智光秀と絡むシーンがあってもおかしくないかと思います。
どのように絡むかは今後の展開次第ですが、堀秀政も「麒麟がくる」に登場するのではないでしょうか。
万能武将・堀秀政の逸話紹介
何を任せてもそつなくこなす万能武将・堀秀政。
堀秀政にはあだ名がついていました。
そのあだ名は「名人」です。
どうして堀秀政は「名人」と呼ばれていたのでしょうか。
それは部下の心をしっかりと読んでいたからだそうです。
どのような意味かちょっと分かりにくいかと思いますので、「名人」と呼ばれた堀秀政の逸話を一つご紹介したいと思います。
堀秀政はある日、二人の家来達が争っている所に遭遇します。
一人は「自分が持っている荷が重すぎるから持てない」と主張。
もう一人は「そんなはずはない。みんな同じ荷物を持っているのだ」と怒鳴っていました。
堀秀政は二人の口論を聞いて荷物を運んでいる家来の荷を持ち上げて、数キロ歩き始めます。
堀秀政は荷物を降ろして後、口論していた二人を呼び「俺は荷物を持っていたこいつよりも力も強いが、やっぱりこの荷物を持ちながら、歩き続けるのはキツイ」と言い渡たして、言い争いに決着をつけるのでした。
序にオレンジ色の意見を述べていた人は現場の人です。
そして青色の意見を述べていたのは堀秀政の家来でした。
堀秀政は自分の家来よりも低い地位の人の意見を尊重する事で、彼らのモチベーションアップを図ります。
そして自分の意見を取り上げられた人物は、モチベーションが上がって仕事への向き合い方が変わり、いい影響を仕事に及ぼすのでした。
このように堀秀政は人の気持ちを組んで、人のモチベーションアップを図る上手い人だったので、「名人」とあだ名が付けられるのでした。
「まとめにゃん」の記事まとめ
今日は「まとめにゃん」である私が記事のまとめをしてきます。
さて今日の記事はこのようなラインナップになっております。
- 堀秀政は戦・建築仕事などを任せてもそつなくこなせる万能武将であった
- 「麒麟がくる」には明智光秀とも関連性のある武将ですので、登場する可能性が高い
- 人の気持ちを汲んで、部下のモチベーションアップを狙う「名人」だった
以上になります。
先日僕のご主人・ニャンコのイラストが登場しましたが、いかがでしたか。
まだまだご主人絵が下手なので、毎日練習しまくっていますので、温かい目で見て頂けると嬉しいです。
所で僕のイラストですが、ネズミっぽいので新しいイラストに書き直してもらえるようにお願いしなくちゃ。
それでは今日はこのへんで。
また次回の記事でお会いしましょう。
それじゃあまたにゃ~
参考文献 Wikipedia(堀秀政)
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