ボスがネコ会議から帰ってきて新しいお友達と仲良くしている所をほっこりしながら見守っているニャンコです。
編集長・ボスの新しいお友達は修業中で近日中には登場すると思いますので、お楽しみに。
今回は「麒麟がくる」に最近発表された佐久間信盛(さくまのぶもり)についてご紹介します。
佐久間信盛を一言で表すと「ケチな織田家の重臣」です。
この記事では
- 佐久間信盛とはどんな人⁉
- ケチだけど撤退戦のプロ⁉
- 「麒麟がくる」ではどのような人物として演出されるのか
などについて歴史に詳しくないニャンコが分かりやすく5分ほどサクッと読めるようにまとめた記事なります。
それでは早速ご覧ください。
織田信秀・信長親子に仕える
佐久間信盛は織田信秀(おだのぶひで)の時代に織田家に仕えます。
織田家は織田信秀死後、先日「麒麟がくる」で亡くなった織田信行(おだのぶゆき)の元に多くの家来達が味方に付きます。
しかし佐久間信盛は織田信長の家来として彼に仕え、織田信行との戦いや今川義元、美濃攻略戦など多くの戦いで活躍。
この結果、佐久間信盛は織田家の重役として出世した武将でした。
ケチだけど撤退戦で活躍した佐久間信盛
佐久間信盛はめちゃくちゃケチな武将で、織田信長から大きな領土をもらっても、有能な家来を増やそうとしませんでした。
その証左として佐久間信盛は大阪に籠って織田家に敵対した石山本願寺(いしやまほんがんじ)を倒すよう、織田信長から命令を受けます。
この時織田信長は佐久間信盛へ大和(やまと)・尾張(おわり)・三河(みかわ)などに領地を持っている武将達を部下として預けます。
この結果、佐久間信盛は織田家の家来の中でも最大の兵力をもって石山本願寺と戦う事に。
しかし佐久間信盛は多くの兵力を織田信長から与えられていたにもかかわらず、石山本願寺を倒す事が出来ませんでした。
そのため織田信長はとっても怒って佐久間信盛へ「お前は日ごろからケチで新しい家来を召し抱えないから、坊主(石山本願寺は一向一揆衆の僧侶や民衆達で構成された勢力)ども倒す事が出来ないのだ!!とっとと出ていけ」と言われて織田家から追放されてしまうのでした。
このように佐久間信盛はけちな武将でしたが、良い所もあります。
それは撤退戦が上手い点です。
佐久間信盛が撤退戦が上手かった証拠として、三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)が挙げられます。
三方ヶ原の戦いは武田信玄と徳川・織田連合軍の戦いです。
この時、佐久間信盛は織田信長の命令を受けて徳川家康を助ける為援軍として派遣されます。
こうして徳川・織田の連合軍は武田信玄に戦いを挑みますが、ボコボコにされてい敗北してしまうのでした。
この戦いで徳川家や織田家の武将は何人も討ち取られてしまうほど激しい戦でした。
しかし佐久間信盛は兵を減らす事なく退却し、織田家の領地へと帰っていくのでした。
このように佐久間信盛はケチな武将でしたが、退却戦がとってもうまい武将だったのです。
「麒麟がくる」ではどのような武将として登場するのか
ここまで佐久間信盛について色々と紹介してきましたが、「麒麟がくる」ではどのような武将として登場するのでしょうか。
佐久間信盛は「麒麟がくる」では金子ノブアキ氏が演じることになります。
「麒麟がくる」の登場人物紹介の佐久間信盛は柴田勝家よりも武骨な感じのイメージを前面に押し出した武将です。
「麒麟がくる」では武骨な感じの佐久間信盛ですが、史実では交渉事にも才能を発揮した武将ですので、武骨なシーンを交えつつも、知的な武将としても描かれるのではないでしょうか。
果たして「麒麟がくるの」の佐久間信盛は武骨一辺倒の戦国武将としてがかれるのか。
それとも戦国時代のボンバーマンこと松永久秀(まつながひさひで)を説得したネゴシエーターとしての知的な部分を兼ね備えた武将として描かれるのか。
皆様は「麒麟がくる」で佐久間信盛がどのような武将として、描かれると予想しますか。
まとめとボスの一言
今回の記事はまとめにゃんじゃなくてニャンコがまとめました。
今回の記事のまとめはこのようになっております。
- 佐久間信盛は織田信秀・信長親子に仕えた織田家の重臣だった
- 佐久間信盛はケチな武将だった為、織田信長の逆鱗に触れて、織田家から追放されてしまった
- 佐久間信盛は交渉事と撤退戦に優れた人
以上です。
ボス「こんばんにゃ!!
昨日は数ヶ月に一回のネコ会議に行ってとっても疲れたニャ。
ネコ会議ではみんなで最近の近況を話してきたにゃ。
みんなの元気な姿を見る事が出来てとっても嬉しかったニャ。
みんな元気で次の会議に出席する事を約束しながら、ネコ会議はお開きになったニャ。
あ~とっても疲れたから、俺はゴロゴロするニャ。
それじゃまたニャ~」
参考文献 谷口克広「信長軍の司令官」中公新書など
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