家でボス(ネコ)と一緒にごろごろ生活を送っているニャンコです。
にゃんこはずっと歴史が嫌いでした。
そんなにゃんこが歴史ブログを書くようになったのは、戦国時代の歴史小説を読み始めてからです。
戦国時代にはドキワク(ドキドキワクワク)がいっぱい詰まっています。
その中でもにゃんこが1番ドキワクしたのが、本能寺の変です。
本能寺の変は明智光秀が主である織田信長を殺害してしまった事件です。
戦国時代は家来が主を殺害してしまう事件が頻繁に起きる恐ろしい時代ですが、主を殺害する動機がしっかりしています。
例えば「一国一城の主になりたい野望」や「主が気に入らない感情論」などです。
しかし明智光秀は織田信長を殺害した動機が2020年現在でも分からず、色々な説がささやかれています。
そこで今回は明智光秀が織田信長を殺害した主な動機をご紹介していきたいと思います。
この記事では歴史嫌いだったにゃんこが
- 【本能寺の変】の原因ってなんだろう」
- 「本能寺の変が起きた原因って何??」
- 「学校では教えてもらえない本能寺の変の内容を知りたい」
5分ほどでサクッと読めますので、家事の合間や暇な時間にお読みください
本能寺の変のおさらい
そもそも本能寺の変はどんな事件なのか。
本能寺の変は1582年に発生した事件です。
この事件の被害者は戦国時代最大の勢力を誇っていた織田信長です。
そしてこの事件の犯人は織田信長の家来であった明智光秀です。
どうして明智光秀は織田信長を殺害したのでしょうか。
織田信長が殺害されてから440年以上経過した現在でも、明智光秀が織田信長を殺害した有力な動機がいまだに解明されていません。
そのため多くの殺人動機が提唱されていますので、ご紹介していきたいと思います。
明智光秀が織田信長を殺害した動機1:恨み・怒りなどの感情説
殺人事件の犯人の殺人動機は「恨み・怒り」が多いそうです。
法務省によれば、殺人事件を起こした理由の中で一番多いのは「怒り」などの感情説が多く、平成23年は43%の人が「怒り」を理由に殺人を犯しています。
殺人事件の動機2位は「恨み」です。
人を「恨ん」で殺害事件を起こしているのは約15%と調査結果が出ています。
なぜ現在の殺害犯の殺害動機をお話したのか。
それは明智光秀が織田信長を殺害した理由に「恨みや怒り」の感情が理由で「本能寺の変」を起こしたとされているからです。
明智光秀は織田信長にどのような「恨み・怒り」の感情を持っていたのか。
この点についてご紹介しましょう。
「祖父物語」や「川角太閤記(かわすみたいこうき)」などの書物によれば、明智光秀は武田家を滅ぼした後の祝賀会で、「私達の活躍で武田を滅ぼせましたな」とこぼします。
すると織田信長はブチギレて諸将の前で明智光秀に対して「頭を打ち付けてボコボコにした」と記されています(ニャンコが現代風に分かりやすくアレンジしております。)
また明智光秀は織田信長の盟友であった徳川家康が京都へ遊びに来た際、織田信長からおもてなしするように命令。
明智光秀は一生懸命徳川家康をもてなしますが、途中でおもてなし担当から外されてしまいます。
明智光秀は頑張って徳川家康をもてなしていたのにいきなり担当を外されて激怒。
明智光秀はこれらの事がきっかけで織田信長を本能寺で殺害したとされています。
「恨み・怒り」の感情は戦国時代でも変わらず、殺人を犯す動機となりますが、皆様はこの感情説に対してどのように思いますか。
それでは明智光秀が「本能寺の変」を起こした次の理由についてご紹介していきましょう。
明智光秀が織田信長を殺害した動機2:黒幕説
明智光秀が織田信長を殺害した犯人です。
しかし明智光秀は「黒幕x」にそそのかされて織田信長を殺害したとの説も存在しています。
黒幕説には明智光秀が仕えていた足利義昭(あしかがよしあき)や明智光秀を倒して織田家を引き継いで天下人へ上り詰めた豊臣秀吉、徳川家康、織田信長との関係がぎくしゃくしていた朝廷説など色々な黒幕説があります。
こちらの説もいまだ断定できる証拠が揃っていない為、予測の範囲の説になります。
明智光秀が織田信長を殺害した動機3:明智光秀単独説
明智光秀が織田信長を殺害した動機の一つとして、明智光秀が誰にもそそのかされず、何らかの理由で殺害した説があります(明智光秀単独説)。
明智光秀単独犯行説は織田信長の実績などをまとめた「信長公記(しんちょうこうき)」の作者・太田牛一(おおだぎゅういち)が最初に主張した説です。
新しい史料が見つかる!!
明智光秀が織田信長を殺害した理由は先ほど説明した以外にもたくさんあり、色々な理由が存在しています。
そんな中、本能寺の変に関する新しい史料が発見されました。
その史料とは四国の長宗我部元親が明智光秀の家来へ宛てた手紙です。
本能寺の変が起きたきっかけは四国にあり??
長宗我部元親が明智光秀の家来へ送った手紙の内容はどのようなモノだったのでしょうか。
それは長宗我部元親が「織田信長殿が以前から言われていた条件に従う」という内容でした。
織田信長は長宗我部元親へどのような条件提案していたのでしょうか。
織田信長の突然の発言に困惑する明智光秀
織田信長はある日、長宗我部元親との外交を任せていた明智光秀を呼びつけます。
そして織田信長は明智光秀へ「長宗我部元親が四国統一に励んでいるようだけど。俺は長宗我部元親と敵対していた三好家を助ける事にしたから。だから長宗我部元親が得た土地全部放棄して、阿波と土佐の二か国だけしか認めないよ」と語ります。
明智光秀はビックリして「ちょっと待ってください。長宗我部元親との同盟関係はどうするんですか」と発言。
すると織田信長は「え!?もちろん破棄だよ」と当然のように語ります。
明智光秀は再び織田信長へ「私が長宗我部元親を説得してきますから、もう少しお待ちください」と提案。
織田信長は明智光秀の提案を受け入れます。
その後明智光秀は石谷頼辰(いしがいよりとき)達を使って何度も手紙で長宗我部元親を説得。
この結果、長宗我部元親は明智光秀の説得を受け入れて先ほど説明した「織田信長殿に従う」という手紙を送ります。
こうして明智光秀は長宗我部元親の説得に成功し、織田信長へ意気揚々と報告へ向かうのでした。
織田信長は明智光秀の報告を聞いて「そうか。わかった。でも俺は長宗我部元親を討伐するからよろしく!!」ととんでもないことを言い出すのでした。
明智光秀もニャンコも読者も織田信長の発言にはびっくり。
だって織田信長は明智光秀の報告を聞いて肯定したにもかかわらず、四国へ攻め入ると言っているのですから。
なぜ織田信長はこのような発言をしたのでしょうか。
※ここで紹介した発言はニャンコが読者に分かりやすいよう「発言を改変」していますので、ご注意ください。
四国征伐は決定事項!!このことが原因で本能寺の変が起きる!?
明智光秀は先ほど説明した「長宗我部元親を討伐する」と発言した織田信長に反論。
しかし織田信長は「もう決めた事なの!!だからお前の意見は聞いてないから」と言って去っていきます。
明智光秀は織田信長の発言を聞いて長宗我部元親に対しての面目を失い、織田家における自分の地位までが失われてしまうと考え悩みます。
明智光秀は四国を討伐する軍勢が出陣する6月2日の朝、本能寺の変を起こして織田信長を殺害してしまうのでした。
明智光秀や石谷頼辰らが長宗我部元親に宛てた文章は「石谷家文章」と言われ、近年発見された資料として注目を集めています。
そして明智光秀が本能寺の変を起こした原因に四国の長宗我部元親が関係している可能性が浮上した事でもこの説が注目を集めています。
まとめ
今回は本能寺の変の動機について調べてみました。
早速今回の記事のまとめをご紹介しましょう
- 本能寺の変のあらすじ
- 織田信長を明智光秀が殺害した原因の一つに感情説
- 織田信長を明智光秀が殺害した原因の一つに黒幕説
- 織田信長を明智光秀が殺害した原因の一つに明智光秀単独説
- 四国説が近年注目を集めている
上記になります。
本能寺の変における四国説は近年発見されたばかりですので、今後の研究次第では最も有力な説に浮上する可能性もあるかもしれません。
また「麒麟がくる」では明智光秀が一体どのような理由で織田信長を殺害するのか。
ここで紹介した原因が該当するのか。
それとも全然別の理由から織田信長を殺害の動機を作り上げるのか。
「麒麟がくる」で本能寺の変が始まった時にこの点に注目してみると面白く見ることができるかもしれませんね。
参考文献 検証本能寺の変 吉川弘文館など
.....✍(・∀・*)なるほどぉ.…!(((o(*゚▽゚*)o)))
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